セックスにおける「男性役割」のつまらなさ ―私自身のセックスの悩みを通じて―

やはりセックスにおける「男性役割」はつまらないし気持ち良くない――『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』を読んでそう思った。

この本で湯山玲子さんはオールドタイプな性規範がセックスにもたらす影響力を次のように分析している。

襲う性、オス性の魅力は、文化的に女性に相当刷り込まれているので、ほとんどの女性はセックス時のプレイ的な男の暴力性は嫌いではない。でも、それは都合がいい暴力性で、「オマエが愛おしくて、欲しくて辛抱タマラン」という愛という名のスウィートな暴力。その暴力に油を注ぐべく、生まれたての子鹿のように震えて、おののく、という女性側の演技も含めてね。問題は暴力装置による男女の支配・被支配の関係が、もう血肉化されているから、そうしたポルノでオナニーしてきて私たちに、果たしてそうじゃない第三の道があるのかという話。

そして湯山さんは、

男たちが従来の発情システムと、現実の感情にズレが生じていることを感じ始めている。

と、現代の男性たちは「従来の発情システム」に違和感があるのではないか、と指摘する。

更に湯山さんは、BLの魅力は攻めにも受けにも感情移入できることだとした上で、BLと比べてレディコミ(女性向けのヘテロエロ漫画)にはある「不自由」があると語る。

レディコミはBLに比べて、一点だけ不自由なところがあるんですよ。ヤラれる女のほうにはもちろん感情移入はできるんだけど、どうもヤル側の男のほうにそれがしにくい。女をヒイヒイさせるという役割のときに、「えっ、この女には私の心のチンコは勃たないわな」とちょっとブレーキが入っちゃう。ヘテロなゆえに、受けが女だと例の女同士の細かいセンサーが働いて「それは違う」となるんですよ。加えて、セックスは受け身のほうが絶対快感が大きいので、レディコミの場合、感情シンクロが簡単に女のほうに行ってしまう。おわかりかな?

分かります!と大きな声で言いたくなる。さらっと言っているけれど「セックスは受け身のほうが絶対快感が大きいので」これ。湯山さんはセックスにおける男性役割の快楽の少なさを見抜いているのだと思う。

セックスにおける男女の非対称性 ―私のセックスの悩み―

この湯山さんの一連の発言は、今の私のセックスのちょっとした悩みとシンクロしていて、というのも私のパートナーは攻めるのが得意で、凄まじい快楽を教えてくれたのだけれど、基本的には女の子ムードを楽しみたいようで、私はセックスにおいて男性役割を演じなければならない。

例えば、セックスが始まるときに押し倒すのは必ず私の方なのだけれど、これはもちろん「性欲に任せて」押し倒している訳ではない。彼女がセックスしたがっている様子をその日の空気で察して、いちゃいちゃしつついい感じに仕上がって来た段階で「如何にも性欲を抑えられなくなったような体で」押し倒すのだ。

やはり好きな人の喜んでくれることをしたいという気持ちはある。そうすると、「如何にも性欲に支配されて激しく身体を求めている」ような動きに彼女が喜ぶらしいということがどんどん分かってくるのだ。これは冒頭に引用した湯山さんの語る女性に内面化された価値観とまさに一致していると思う。そして私は「従来の発情システムと、現実の感情にズレが生じていることを感じ始めている」。いつか彼女がやる気になって私の身体を攻めてくれることに淡い期待を抱きながら彼女の身体を激しく求めるという「型」を実行しているのだ。

これは話し合って攻める割合を50/50にして貰えば良いということではない。彼女が自発的に察してやってくれることに意味がある。受けの快楽は贅沢なもので、ここに妥協は許されない。

まあ一応男性役割にも魅力がまったくない訳ではないのだけれど、それはある種の職人的な満足感であって、快楽の強度からするとかなり物足りないと思う。

「男が受け身」というより、「セックスはリバーシブルなのが自然」になればいいんですが。 男はこう、 女はこうと決まっているほうが不自然。

二村ヒトシさんがこう語るような理想を突き詰めて、攻めの時間配分が完全に平等なセックスとか、その日その日で役割を入れ替えるセックスとかが実現できれば楽しいと思うけれど、なかなか現実は思い通りにはいかなくて、やっぱりセックスの魅力と難しさは「人とするものだ」ということろこに集約しているのだと思う。

会社の仕事はつまらないという当たり前の事実の確認

将来の職業のことは、やはり切実だった。

私は森鴎外が大好きだが、彼は「仕事」を必ず「為事しごと」と書く。「仕える事」ではなく、「る事」と書くのである。私はこの発想を気に入っていた。人間は、一生の間に様々な「事をる」。寝て起きて、食事を摂って、本を読んだり、映画を見たり、デートをしたり「為る」。職業というのは、何であれ、その色々な「為る事」の一つに過ぎないが、ただ、一日二十四時間、死ぬまでの何十年だかで、最も長い時間を費やす事であるには違いない。だからこそ、自分の本性とマッチしたものでなければ、耐えられないはずだ。

「職業というのは……一日二十四時間、死ぬまでの何十年だかで、最も長い時間を費やす事であるには違いない。だからこそ、自分の本性とマッチしたものでなければ、耐えられないはずだ」というのは私も思ってきたことで、だからこそ「やりがいのある仕事」をしたいと思っていたのだけれど、結局医師にも研究者にもなれずに会社員になるしかなかった。とは言っても、平野啓一郎みたいな非会社員の小説家が言っていることは怪しいもので、世間に溢れている「会社の仕事=つまらない」的なイメージは本当にそうなのだろうか、面白みを見つける工夫が欠けているだけでは、という気持ちもあった。

結果としては、一か月会社員をやってみて、会社の仕事はつまらない、というありふれた常識を確認することになった。

勤務先の会社は、主力の自社製品(企業向けのクラウドシステム)一本で利益を挙げている小規模なIT企業だ。研修では、Excelで書かれた設定資料を読んで、手動でシステムに値を打ち込んで動作テストをしている。非常に単調な作業でつまらない。小さな会社なので、自分がこのままキャリアを進めるとどういう仕事が出来るようになるかはサクッと見通せるのだけれど、この手打ちのテスト業務に加えて、顧客の要件をヒアリングすることと、要件を反映する為にシステムのカスタマイズ設定をExcelで書く*1ことと、その設定を日本語に起こした設定資料をExcelで書くことが出来るようになる。基本的にはこれだけだと思う。Excelに始まりExcelに終わるという感じだ。

開発に回れれば面白い仕事が出来るかなと思い、プログラミングの勉強をしているのだけれど、開発はガチな少数精鋭で固められているので、未経験文系の自分に入り込める余地は無いような気もする。

仕事がつまらないこと以外には特に不満はなく、働きやすい会社だと思うのだけれど、このつまらなさは何とかしないとなと思っている。今は他の選択肢が皆無なので、この場所で出来ることをしつつ、将来の転職も視野に入れて他の選択肢をまずは一つ作る必要があると感じている。

*1:社内の開発者が作成したVBAで動く仕組みによって、Excelの設定をシステムのDBレコードに反映できる。

「言葉で伝える」ことの難しさと共感性の効力 ―人と共に一か月暮らして―

彼女とは言いたいことを言い合える関係を築けていたし、事前に不満は溜め込まずすぐに伝えることを念入りに確認し合ったので、共同生活はどうにでもなるだろうと舐めてかかっていたのだけれど、そんなことはまったくなかった。

一番大変だったのは彼女が仕事から疲れて帰ってくると私の家事上のミス(帰宅後の内鍵のかけ忘れ、カーテンの閉め忘れなど)について激怒し始めることだった。料理をして洗濯物をたたんで、それでも何か不手際があると怒られる。慣れない家事でミスをゼロにするように気を配るのは大変なストレスで、一時期は神経が衰弱し切っていた。

理想を言えば「家事上のミスについては改善しようと努力しているけれど、自分は今までほとんど家事をしてこなかった人間なのでどうしても最初のうちはミスが生じてしまうし、一々恫喝されていたのでは恐怖で委縮して出来ることも出来なくなってしまう。冷静に問題点を指摘して欲しい」という趣旨のことをちゃんと伝えれば良かったのだけれど、彼女の激務による疲労(彼女は接客業で、平日の不定休と他店舗出張が出鱈目に入り乱れるシフトかつサービス残業は当り前という環境で働いている)で余裕を失っている様子を見ると、言葉を切り出すことが躊躇われた。

結果、私は露骨に衰弱した様子で溜息をついてみせるという「察してちゃん」的な態度に出ざるを得なかった。コミュニケーション論的には「察してちゃん」は事態の解決に向かわない最悪の手段で、私自身恐怖に支配されて「察してちゃん」になっている自分はもう駄目だと思ったので、「やはり自分には結婚とか無理だった。婚約破棄して関東の実家に帰ろう」みたいに破局的な発想に走りかけていたのだけれど、廃人のようになっている私を見て彼女は怒り過ぎてしまったことを反省してくれて、今はマイルドな言い方を心がけてくれているので、二人の楽しい時間も戻って来つつある。

頭の中でコミュニケーション論を考えると、間違った内心の推量が深刻なすれ違いを呼ぶ可能性があるため、想像力とか共感性に頼らずにちゃんと言葉で伝えた方が良い、となるのだけれど、今回は彼女が私に対して共感力(察する能力)を発揮してくれたことに救われた気がする。

コミュニケーションは理想通りにはいかない。言葉も感性も使えるものはすべて使って乗り切るしかないという印象だ。

単位とれた!

今日の朝大学の成績開示があった。ギリギリ卒業要件を満たすように受講していたので一つでも落としたら卒業できず内定取消と婚約破棄のコンボで人生終了する状況で、恐怖に胃を痛めながら成績表をダウンロードしたけれど、無事全部通っていて、卒業要件ぴったりの単位数で卒業できることになった。卒業要件140単位中、私が学年別に取得した単位は、

  • 一年生:40単位
  • 二年生:15単位
  • 三年生:18単位
  • 四年生:67単位

こうなっていて、卒業に必要な単位の約半分(そのうち卒論関連が16単位)を今年度に取得したことになる。

そもそもこんな状況になってしまったのは、二年生の秋にサークル(創作系)の偉い先輩とTwitter(今のアカウントとは別のアカウント)で喧嘩して界隈八分を喰らったという何ともアレな経緯で廃人状態に陥ったことが原因で、去年の今頃は躁鬱的な傾向のある引きこもりというかなり悲惨な状態だった。

地元神奈川県の地方都市のとある心療内科にて

流石にこんな状態で就活と卒論と膨大な単位取得をこなすのは不可能と考えて、去年の今頃、地元神奈川の心療内科に行ってみることにした。

待合室に座っていると、診察室の裏の扉を開けて受付にひょいっと先生が頭だけ出して来たのだけれど、その顔を見てギョッとしてしまった。蒼白い肌の女性で、長い黒髪が一筋顔にかかっていて、妖怪にしか見えない。ふと周りを見回してみると、待合室に座っている人たちの挙動も明らかにおかしい。ヤバいところに来てしまったと思った。

将来への絶望的な気持ちに支配されながら診察室に入ると、第一印象とは異なり、先生はユーモアのある明るい語り口で、見開きのノートにメモをとりながら私の話を丁寧に聞いてくれて、

「どうしましょうか。特に治療が必要な状態だとは思いませんが。すごく、まともでいらっしゃるので」
「まとも、ですかね」
「ええ。目を見て話してくださって、塞ぎ込んだりもしてないですし、逆に、ハイになり過ぎているということもなく」

と言ってくれた。「まとも」と言われて何だかすごく安心した気がする(心療内科的なテクニックなのだろうか)。取り敢えず治療は無しで、ヤバくなったら薬を処方して貰う、という方針になった。

自分の力で何とかした訳ではない

結局心療内科にはその後通うこともなく、就活も卒論も単位取得も無事にこなせた訳だけれど、これは自分の力で成し遂げたことではない。私の危機的な状況を知り、母はこの一年間惜しみない援助をしてくれた。私は何事も成し遂げられなかったけれど、他者に支えられているという事実を生まれて初めてまともに認識できるようになった。健康な精神を取り戻した今、母にはいつか恩返し出来たらと感じている。

婚約しました

奈良でプロポーズして来た。

長かった学生生活で学んだことはただ一つ「孤独は人を殺す」ということで、もう独り暮らしは嫌だと、彼女に頼み込んで春から同棲することになったのだけれど、「婚約しなければ娘はやれない」ということで、プロポーズの準備を進めていた。

この一年は遠距離恋愛していたけれど、彼女の出身大学が奈良で、お互いに学生だった頃は、奈良市内、飛鳥、斑鳩など奈良の各地でデートした。

まめすず mamesuzu-sweets.com

告白したのも彼女の行きつけの「まめすず」という小さなカフェだった。

何よりも奈良には奈良ホテルがある。一度泊まってみたかった。この機会を利用しない手はない。

事前にホテルに相談したところ、花束を用意すること、そして何とチャペルを開放することが可能だというのだ。

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メインダイニングルーム「三笠」でフレンチの夕食を食べた後(すごい美味しかった)、館内ツアーという名目で、フロントの方にホテルを一通り案内して貰って、その終りに、

「今なら外にあるチャペルの中をお見せすることが出来ますが、いかがでしょうか」
「お、いいですね。○○も見たいよね」
「え、う、うん(察し)」

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翌朝撮影した聖ラファエル教会

ということで、チャペル(聖ラファエル教会)に案内して貰ったのだけれど、辺りが暗い中、海外の教会から移植したという美しすぎるステンドグラスがキラキラ光っていて、二人で「わー、綺麗だねー」とうっとりと見入った。扉の前まで案内して貰って後は二人っきりでという段取りだった。中に入ると、内装にふんだんに使われた吉野杉の香りが充満していて「いい匂いだね」などと言い合う。中央奥のテーブルに花束が置いてあった。余りにも露骨に置いてあるので見つめ合って笑ってしまう。赤系統を指定して頼んだものだ。

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一通り彼女と教会の装飾を見て周って、奥まで辿り着いて、花束を持ち上げて、ポケットから書いて来た手紙を取り出して花束に添えた。彼女と見つめ合うと、微妙な間が生まれてしまった。プロポーズの台詞は20回くらい練習して来たのだけれど、出て来ない。はにかみながら、

「この二年間付き合って来てすごい楽しかったし、一緒にいるだけでいつも自然と心が温かくなるような、そんな気がして、すごくいい関係だと思うし、これからもずっと大切にしたい。だから」

というような主旨のことを言って、跪いて、

「結婚してください」

と、花束と手紙を差し出した。

受け取る彼女。顔がほんのりと赤くなっていて、ぼやーっとして、心ここにあらずという感じだ。返事がない。気を確かに、と彼女の腕に触れて、

「返事は」
「は、はい」

お互いすごくぎこちなかったけれど、OKということで、軽く抱き合って、それから教会の外に出た。

親の金で買った指輪でプロポーズするのは如何なものかということで、手紙しか用意できなかったけれど、「○○と共に幸せな将来を築いてゆけると確信している」という書き出しから始まるロマンティックフィルター全開の文章は気に入って貰えたようで良かった。

ブラックな職場の彼女に休みを取って貰うために、今日はプロポーズの為の特別な日なんだと元々告げてあって、春から一緒に住む部屋も既に借りてあるので断られるということも絶対になかったのだけれど、奈良ホテルのお蔭でサプライズ感が出せて、彼女も大満足の様子だった。

彼女が激務の中、遠距離恋愛ということで、この一年間危機的な局面もいくつかあったのだけれど、常に丁寧に話をして乗り切ってきた。一緒にいていつも楽しくて、ヤバいときはちゃんと話し合える。お互いに得意な分野が大きく異なるので相補性もある。得難い関係だと思う。私にとって初めての恋愛だったけれど、いきなり最高のパートナーに出会えた。これからも末永くこの関係を育めたらと思う。

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セックスがGoogle AdSenseの誘惑から私を守ってくれている

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包茎分類フローチャート ―「剥けている」のではなく「引っ掛けている」ということ―

「包皮が被っている状態」の男性器を「仮性包茎」などと呼び異常な男性器扱いして、「包皮が被っていない状態」を正常とするのは日本人だけで、白人の男性器は皆「包皮が被っている状態」であることを啓発する記事が投稿された。私も以前、日本の包茎治療の闇について自らの青春時代の包茎治療体験を基に書いたことがある。

元記事はMiyakeさんがジムで白人の男性器を実際に観測した成果をベースにして書かれていて参考になるけれど、日本人男性の性器に対する認識を「包皮が被っている状態」と「包皮が被っていない状態」の二択で語るのはやや雑なように感じる。

白人男性の性器認識

まず、元記事を参考にして白人男性の性器認識を図式化するとこうだ。

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シンプルな把握で、これが性教育的にも正しい認識だ。

日本人男性の性器認識

対して、日本人男性の性器認識を図式化するとこうなる。

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治療が必要な「包茎」をわざわざ「真性包茎」と呼び、欧米では正常な男性器とされる男性器に様々な認識の分岐が見られるが、常時剥けている状態を理想とする方向に関心が働いていることに注目したい。また、点線で示した、手術は受けずに、成長の過程で自然に包皮が退化して亀頭を覆えなくなっている状態の男性器が究極の理想とされるが、果たして実在するものなのか私には未だ確認出来ていない。

亀頭のカリ首に包皮を引っ掛ける日本人男性の所作

包皮除去手術を受けていない日本人男性は、「剥けチン」に見せかける為に「包皮を亀頭のカリ首に引っ掛けて落ちて来ないようにする」という所作を行う。『をのころん』という漫画にその様子が詳しく描かれている。

をのころん (マンサンコミックス)

をのころん (マンサンコミックス)

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アラサーちゃん』でもネタにされている。

アラサーちゃん 無修正2

アラサーちゃん 無修正2

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この包皮を亀頭のカリ首に引っ掛けるパターンにも、『をのころん』にあるような、銭湯など公の場でのみ引っ掛けるタイプと、常に引っ掛けておいてある種のクセが付いた状態でホールドされているタイプのものがある。

何故このような風習が日本でのみ出来上がったのか、まったく謎だ。包茎手術詐欺に嵌まる青少年が後を絶たないので、早急な性教育の充実が求められる。