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「自分のために書く」ということ ―「私」の需要を「私」が供給するクリエーション―

私のような零細ブロガーが文章を書くにあたって、何を目的にするか、ということが問題になる。

多くの人に読んで貰いたい、アクセス数を増やしたい、ということはまずあると思う。より掘り下げて言えば、できるだけ多くの人に自分の文章で影響を与えたい、影響力を持ちたい、ということだろうか。

しかし、現実に自分の文章に影響力を確信できることがどれほどあるだろうか。確かにブコメやコメント欄や引用スターやTwitterや言及記事で嬉しい反応を貰えたときには記事を書いて良かったという気持ちになるけれど、そういう反応が貰える記事ばかりではないし、どれだけフィードバックを貰えるかについては運による(特にはてブによるシェアについては)ところも大きいので、文章を書く恒常的なモティヴェーションにするにはやや安定感に欠ける。アクセス数を稼ぐことを第一の目標とした、スパムアフィブログや互助会系ブログのクオリティの低さが目に余ることも事実だろう。

自分のために書く

どうせプロの作家のような影響力を持つことなどできないのであれば、いっそのこと「自分のため」に特化して文章を書くというのもありなのかなと思う。

とある絵師の話

私がpixivでフォローしているTANK村さんという主にR-18絵を描いている絵師がいるのだけれど、彼は初期の絵のキャプションにブログのような長文を書いていて、これが如何にもインターネット的なアングラ臭が漂っていて面白い。

まあ、酷い話をすると、僕は自分の絵を「使う」わけだが、自分で利用する際に
色塗ってあったり差分があったりすると効果的に使えるので、まあ、そういう差分とか描きたいわけだが、
色塗って差分描くと結構時間かかってしまって(大体6-9時間くらい)、結構な作業量で勿体ないので、
せっかくだからアップロードしてるとかそういう次第。
他には人に見えるところに置いたほうが練習として効果的だとか、
自己満足だとか(オナニー絵でオナニーするわけですね)、まあそういうような流れ、
で、自分が求める理想のおかずは何なのか、というのを求めて、
色々描いたりカいたりしてる、というような感じなのであった。

自分の描いた絵で自慰するというのは「自分のため」の創作の究極形であるように思う。

その根底にあるのは、自分の需要を自分で供給するという発想だ。

個人の性癖は多様で、既存のものでは自らの嗜好を十分に満たせない、だから自分で描く。実際見て貰えれば分かるけれど、TANK村さんの絵は、男性の身体が透明で男性器だけの実体だったり、女の子が男性器が射精にいたるまでの様子を実況していたりして、かなり特殊な性癖を表現している。もちろん「男性器のみの身体表現」とか「実況する女の子」とかの要素は既存のものにも多くありそうだけれど、細かいニュアンスがTANK村さんの求めるものとは異なっているのだろう。

そして、「自分のため」を追究したものが人に影響を与えるということもある。私はTANK村さんの絵で数度、射精した。

私がこのブログで供給したい私の需要

去年初めて異性と交際するにあたって、ネットの恋愛コンテンツをすごい量読んだのだけれど、参考になったのはAMのOLIVIAさんの連載のような、女性コラムニストの書いたものばかりで、男性の書いたものに自分のためになるものが少ないと感じた。

あと、恋愛について語ってる人って、恋愛経験豊富なアッパーな人が多くて、もっと地味な人が書いたものを読みたいというのもあった。

そこで、なら自分が書けばいいじゃない、ということで、去年まで「彼女いない歴=年齢」だった恋愛経験一人の私がまるで恋愛のことはすべて分かっているかのようなノリで書いているのがこのブログだ。

まとめ

自分の欲求に本当の意味で忠実に書けば、そこには独創性が生まれる。私たちは世間に共有された「欲望の類型」に従って何かを欲することも多いけれど、本当に自分が欲していることというのは、そういう「型」とは微妙にずれていて、そこに創作の可能性があるのではないだろうか。そういう個人の微妙に一般とずれた、凡庸な様で異様なテキストに触れられるところに、編集者の介在しないブログの、インターネットの良さがあると、私は感じている。