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肌を触れ合せるセックスの気持ち良さと日常のコミュニケーションとしてのスキンシップ

sex sexuality 書評 二村ヒトシ 湯山玲子

前回に続いて、『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』の感想をもう少し書きたい。

対談のラスト付近で、湯山さんが次のように結論している。

セックスしたほうが、人生のまっとう感において充実する。挿入ありきのセックスでなくても添い寝でもいい。体温だよね。皮膚の触れ合いから得られる信頼感はどんな精神薬よりも凄い。人生戦略としてなくてはならないもの。

「皮膚の触れ合いから得られる信頼感はどんな精神薬よりも凄い。人生戦略としてなくてはならないもの」というのは、私もそう思う。肌の触れ合いは気持ちいいし、リラックス効果がある。(ハグなどの)スキンシップを使わないで言葉のコミュニケーションだけで共同生活を上手くやっていくのはなかなか大変だろうなという印象がある。

スキンシップの回路が繋がるまでの障壁

ただ、日本にはスキンシップの威力を理解する回路が繋がるまでに立ち塞がる障壁があって、まず、家庭によって事情が異なるだろうけれど、スキンシップ文化が欧米ほど普及していない。その結果、

日本の文化の中では、母親のベタベタがあまりに強いけれど、考えてみれば、その後のスキンシップがずっとなくて、その後がいきなりセックスということになっちゃっているんですよ。異性とのセックス以外にスキンシップするチャンスがないんだよね。

湯山さんがこう述べるような、日常のコミュニケーションとしてのスキンシップがスッポリと抜け落ちて突然セックスに至るという事態が発生してしまう。しかし、そのセックスでいい感じのスキンシップに辿り着けるかというのも定かなことではない。その一因として、セックスのイメージを形作る上で重要な意味を持つと思われるポルノにおいてスキンシップが重視されていないことがある。

二村さんは現代のAVの特徴について次のように語る。

現代のAVは、お客さんのオナニーの邪魔になるものを徹底的に排除する方向に進化している。それをつきつめると男優に個性はいらない、心は込めずにチンポだけ勃てておけ、女優は男優のほうを見ずにずっとカメラ目線でセックスしろということになる。それで不自然に見えないような、男優の手と下半身だけを使って、ユーザーが女優とセックスしているような気分になれるカメラワークも研究開発されています。

男優が上体を起こして挿入するいわゆる「AV正常位」に象徴されるように、一般的なポルノでは視覚効果を最優先するために男優と女優がぴったりと肌を接触させるような描写を徹底的に排除する傾向がある。

独身時代、私はベッドの上で「男がメインで前戯→挿入→射精という定型じゃなくていいんだ」と提案してました。必ずしも射精は必要じゃないし、ひたすらイチャイチャして愛撫しあっていると「こんなの初めて…!」と感激する男子が多かった。彼らも慈しみ合うようなセックスをしたいんだと思います。

以前アルテイシアさんが、彼女に導かれてポルノ的セックスから脱した男性の喜びの声を紹介していた。「こんなの初めて…!」という感想に率直に表れているように、セックスにおいて皮膚感覚を大切にするという基本に辿り着くのが現代の日本ではまず容易なことではない。

スキンシップの威力と「セックスは別に必須ではないよね?」という感覚

一度スキンシップの威力を体感してしまうと、今度は「別にセックスまでしなくても良くない?」という感覚も生まれてくる。コミュニケーション手段として見ると、セックスが通常のスキンシップと比べて特別に優れている訳ではないし、セックスは真面目にやると全身の筋肉を使ってかなり疲れるのでそれなりに面倒。結局のところ、

「たかがセックス」というのは、大人は当たり前じゃないかという気がする。貴重品として、「やるんだったら、楽しい境地はあるよ」という程度が正しい。

湯山さんがこう述べるようなラインが妥当なのではという気もする。色々なコミュニケーションの手段を揃えた上で、それぞれの関係性にとって必要なものを必要なだけ使えれば良いのかなという感じだ。