妻の歌人公式サイトをリリースしました!

妻の歌人としての個人サイトを開発してリリースした。

開発の背景

悪友

悪友

  • 作者:榊原紘
  • 発売日: 2020/08/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

妻は去年、笹井宏之賞大賞受賞の特典で第一歌集『悪友』を出版して絶賛売り出し中なのと、最近のnoteのゴタゴタでnote退会したいみたいな話があったので、私のNext.jsの勉強がてらnoteみたいなブログ機能付きの公式サイト作ってみたら面白いんじゃない?ということで年末年始休暇にサクッと作ってみた。

トップページで短歌がアニメーションで切り替わるのと、Next.jsのSSG*1故のサクサク動くレスポンスがアピールポイント。

歌人で個人サイトを持っている人は少なく、持っていたとしてもワードプレスのテーマで作っている方が多いようなので、フルカスタマイズ可能なスクラッチ開発のサイトを持っているのは差別化になるかと思った。

やっぱりWebはコツコツ作ってるときが一番楽しい。HTMLは自由だし、最新のJSライブラリ群は恐ろしく快適な開発体験を提供してくれる。

2021/01/18追記

サイトの情報をソースにして、妻のWikipedia記事をどなたかが書いてくれた。

技術的な観点の記事も書いた。

*1:Static Site Generation。ユーザーがサイトにアクセスする前のビルド時にあらかじめコンテンツをすべて用意しておく手法。また、VercelではデフォルトでVercel Edge NetworkというCDNがサポートされている。

公立中学動物園論争に見る「ダブスタ指摘」論法のくだらなさ

中学受験について、匿名でないと書けないことを伝えたい

まぁこんなウダウダ書かなくても公立中出身者ならあの動物園に通わなくていいってので十分良さはわかるよ。

2020/12/08 22:32

公立中学を「動物園」と表現したブコメに日頃ポリコレや反差別にうるさい「はてなリベラル」が多くスターを付けているのはダブスタだという論争が話題になっている。

この論争には、私が以前からネットで多用される詭弁的論法の最たるものだと認識している「ダブスタ指摘」論法の問題点が表れていると感じたので、その観点に絞って書きたい。

問題点を指摘する増田を書く

論争が起きているのははてな匿名ダイアリー(通称増田)なので、私も久しぶりに上の増田を書いてみた。

他者の表現の自由を侵害しようと言うのであれば、その表現がどのように表現対象の人権(自由)を侵害する差別的な表現なのか、ということを十分に社会的合意が得られるレベルで示す必要がある。「自由」と「自由」の対立の調停を図るのが本来のリベラリズムの立場のはずだ。この2つの自由のうち、表現の自由の方を極端に軽視するのが、行き過ぎたポリコレ推進派が本当に「リベラル」なのかと、自己矛盾を感じさせるポイントだろう。しかし「はてなリベラル」嫌いの人たちは、「動物園」の表現の取り締まりにまったく躊躇がないらしく、その点で彼らが嫌いなはずのダメなリベラルに良く似いる。

表現の自由基本的人権なのだから、不快な表現、攻撃的な表現というだけで取り締まろうという方向にするべきではなく、取り締まろうと言うのであれば、その表現が他者の人権(自由)をどのように制限しているかの丁寧な説明が必要なはず、というのが論旨で、「はてなリベラル」批判派の人たちが「動物園」の比喩を曖昧な根拠で取り締まろうというのは、彼らが何よりも嫌いなはずの行き過ぎたポリコレ推進派と同じ立場ですよね?という指摘だ。

「日頃は反差別、ポリコレに熱心なはずの「はてなリベラル」が公立中学を「動物園」と表現するのはダブスタだ」という批判をするとき、この批判者自身の立場は、以下のような真逆の方向が想定し得る。

  1. ダブスタであり、公立中学への表現も厳しく取り締まるべきだ
  2. ダブスタであるから、公立中学への表現が許されるように、その他の差別問題に関する表現についても寛容であるべきだ

私がこの論法を嫌いなのは、批判者が自分はこのうちのどちらの立場なのか隠して批判することが多いためだ。首尾一貫性という、どうとでも破綻を見出せるような枷を、批判相手にのみ課して自らには課さないのは卑怯だと感じる。

ダブスタ指摘論法はミラーリング、試し行動の側面を持つ

私の増田への反応を見てみよう。

「公立中学差別」って何だ?

何でこう論理的思考が弱い人が多いのか、"表現の自由を制限するには、その表現によってどのような人権が制約されているかの丁寧な説明が必要" これを引き出す為の批判に決まってるじゃん(自由の制限の基準含め)

2020/12/12 11:15

今までの差別問題や表現問題のときにそれらはされてましたか?

するまでもなく明らかな場合もあったと思うけど、そうでなく意見が割れてるときにそんな建設的な流れになった記憶ないけど。

検証・説明しきれない部分を「理解してるくせにしらばっくれてる」みたいなのはあったっけ。

そう言えばいいですか?

なんで自分らが批判されるときだけ違う基準を持ち出したり、違うレギュレーションで議論しようとしたりするの?君たちだけそんなに特別な存在なの?

行き過ぎたポリコレ推進派のダメな部分をそのまま演じてやり返す「ミラーリング」のつもりらしい。何だかため息が出てしまう。わざわざ自分がダメだと思っている集団の行動を真似して人を不快にさせて、自分の不快感に気づいて貰おうというのでは、まるで子供の「試し行動」だ。

表現の自由と差別の問題は複雑で、人によって様々な立場を取り得る。自らの立場を隠して、あるのかないのか分からない「界隈」の対立を煽るからダブスタ指摘論法が嫌いなのだと、改めて確認させられる一件だった。

GitHub CLIから任意のMarkdownテンプレートでプルリクエストを作成する

GitHubリポジトリ.github/pull_request_template.md を置くとGUIからプルリクエスト(以下PR)作成時にデフォルトでテンプレートが展開される機能があって、仕事の開発でもこの機能を各リポジトリで活用している。

ただこのテンプレート、大部分のタスクにとって不要な文言が諸事情で記載されていたり、私個人の判断で追加している定型文があったりして、毎回同じような変更をしなければいけないのがなかなかダルい。もちろん開発チーム内で議論してテンプレートの内容を変更すれば良いのだけれど、諸事情で入っている文言を外すのも、個人的な好みの文言を入れるのも、チームの合意を得るのが難しい部分だ。なので、GitHub CLIを使って手元の任意のテンプレートでPRを作成する方法を試してみた。

GitHub CLIのセットアップ

$ brew install gh
$ gh auth login

Macの場合、インストールからアカウント連携まで上の2つのコマンドで実行できる。

プルリクエストの作成

Markdownのテンプレートを作成して、PRを作成したいブランチに切り替えてから

$ gh pr create --title 'PRのタイトル' --body "`cat template.md`"

上記のコマンドでcatで出力したMarkdownファイルの内容を引数としてPRを作成できる。

これで手元で任意のテンプレートを指定してPRを作成できるようになった。

Puppeteerで記事本文中のはてなブログタグを取得する

はてなブログの新機能

はてなブログの記事にはてなブログタグを設定できる機能がリリースされた。

はてなブログタグとは

はてなブログタグ」は「はてなキーワード」からWikiのようなユーザーによる編集機能が除外されて名称変更したサービスで、はてなブログに記事を投稿すると、記事本文中の単語にはてなブログタグの個別ページへのリンクが自動で付与される仕組みになっている。

Puppeteerで記事本文中のはてなブログタグを取得する

せっかくなので、記事本文中のはてなブログタグのリンク付与状況を取得して、はてなブログタグの設定の参考にできると良いと思った。

<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C8%F3%A5%E2%A5%C6">非モテ</a>

ブログ記事のソースを確認すると、はてなブログタグは上のような形式で挿入されているので、Webスクレイピングで容易に取得できそうだ。

Webスクレイピングは以前にも記事を書いたPuppeteerで行うのが簡単だ。

サクッと書いてみた。

先日バズった私の非モテ論記事で試してみる。

$ node index.js https://fuyu.hatenablog.com/entry/2020/10/05/002610
{
  '非モテ': 57,
  '小野ほりでい': 2,
  'フェミニズム': 13,
  '潜在的': 2,
  'ヘテロ': 2,
  'モリー': 1,
  '二村ヒトシ': 1,
  '森岡正博': 1,
  'ブッダ': 2,
  '古今東西': 1,
  rei: 1,
  '中村 元': 1,
  Kindle: 1,
  '本田 透': 1,
  '恋愛資本主義': 4,
  'バロメータ': 1,
  '本田透': 2,
  '電波男': 1,
  'ラク': 1,
  'ウエルベック': 4,
  'ミシェル・ウエルベック': 1,
  '服従': 3,
  'イスラーム': 5,
  '若い女': 1,
  Twitter: 3,
  'ウェルベック': 2,
  'ユートピア': 1,
  'ジェンダー': 4,
  '異性愛': 1,
  '性風俗': 1
}

やはり「非モテ」が圧倒的に多い。この記事であれば、「非モテ」と「フェミニズム」辺りをタグ設定しておけば良さそうだ。

参考記事

JavaScriptで配列の重複数をカウントする処理の参考にした。

リベラルな非モテ論に共感できない理由 ―絶対的恋愛不可能性と無限に開かれた恋愛可能性の相克―

リベラルな非モテ論への反発

小野ほりでいさんの記事を読んで、以前から「リベラル(親フェミニズム的)な非モテ論」のアプローチを理性では理解しつつも自身の過去の非モテ経験に照らし合わせて反発を感じる部分があった私は、何か反論のようなものを書きたい気持ちがあった。一方で、そういう観点で記事を書き始めたら意外に論点が深くなったので、私の非モテ論のコアにある「絶対的恋愛不可能性と無限に開かれた恋愛可能性の乖離による苦しみ」という考え方を用いて各種非モテ論を整理しつつ、何故「リベラルな非モテ論」には共感できないのかを考えたい。当事者性を抜きにこの問題を語ることは不可能という立場から、この記事では「非モテ」と言ったときに「交際経験が一度もないが潜在的に恋愛を経験したい欲望のあるヘテロ男性」を主な対象として想定している。

絶対的恋愛不可能性と無限に開かれた恋愛可能性の乖離による苦しみ

恋愛に強烈な苦手意識を持つ非モテは、自身が恋愛を経験することは絶対に不可能だという意識に自覚的または無自覚的に束縛されている。その一方で、潜在的に恋愛を経験してみたい欲望がある非モテにとっては、身の周りのあらゆる異性に恋愛可能性を見てしまう。この絶対的な恋愛不可能性と抑え難く感じてしまう恋愛可能性の乖離が(過去の私のような)非モテの苦しみのコアだと解釈できる。

非モテ論の二大潮流

この苦しみを解消するためには

  1. 交際を経験する
  2. 恋愛可能性を放棄する

の2つのアプローチがあり、ここに非モテ論の二大潮流が生まれる。

恋愛を経験するという最もシンプルかつ効果的な解法

こういった苦しみの最もシンプルな解決法は、普通に交際を経験することだろう。性的パートナーができれば、世の中に広く流通する性的パートナーは一人までというモノアモリー規範によって、身の周りの異性に恋愛可能性を想定せずに済むようになり、恋愛は可能であって、かつ無限に恋愛可能性を見出すことはしなくて良いという苦しみのない境地に辿り着くことができる。

非モテに恋愛を経験させるというアプローチでは、非モテ特有の恋愛に不向きな認知を矯正するという観点が重視される。具体例としては、反リベラル的なものでは藤沢数希の「恋愛工学」のような非モテ向けの味付けがされたPUA、ナンパ論があり、そうでないものとしては、二村ヒトシすべてはモテるためである*1森岡正博草食系男子の恋愛学*2などがある。

ちなみに私自身もこのアプローチで非モテ(であった過去の自分の)救済を熱心に考えていた時期があった。

非モテに恋愛可能性を見出すことのナンセンスさ

その一方で、こういったアプローチは、前述した「自身が恋愛を経験することは絶対に不可能だという意識に自覚的または無自覚的に束縛されている」非モテのあり方と決定的に矛盾しているという点で、非モテ論としては半ばナンセンスとも言えるものだ。現に上述した例はどれも純粋な非モテ論というよりは恋愛ハウツー的な要素を多分に含むものとなっている。恋愛に不向きな認知を矯正して恋愛を経験しようというのはある種合理的な解法だけれど、非モテ論としては恋愛不可能性に向き合うものこそがその真髄に近いと言えるだろう。

恋愛可能性を放棄する非モテ

自らの恋愛可能性をどのように放棄するか、また、抑え難い恋愛への欲求に抵抗して確かに放棄できたとどのように自身を納得させるかという難題に対して、非モテ論の先人は知恵を凝らして来た。

MGTOWとブッダ

完全に自分はMGTOWだとわかっている男性は、女性との関係をすべて避けている。それは短期間でも、長期間でも、恋愛においても言える。そういう人は結局、社会そのものを避けている。

彼等は古今東西あらゆる偉人が残した「女性とは関わるべきではない」という思想・言葉を漁り、それをミグタウの起源として主張しているのだ。

彼等は「ミグタウは人間社会において消える事のない火であり、近年それにフェミニズムがガソリンをかけて燃え広がった」と主張している。

近年の動きでまず注目すべきは、ダイレクトに恋愛可能性を放棄するMGTOWだろう。また、reiさんの記事で触れられているように、ブッダもMGTOWに近い発言を原始仏典『スッタニパータ』に残している。

交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

われは(昔さとりを開こうとした時に)、愛執と嫌悪と貪欲(という三人の悪女)を見ても、かれらと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。

「犀の角のようにただ独り歩め」がMGTOW(Men Going Their Own Way)と酷似している点と言い、女性を糞尿に喩える現代的視点からは極めて女性蔑視的な言及と言い、あまりにも現代のMGTOWそのもので驚くほどだ。

二次元(非リアル)への欲望の転換

恋愛資本主義社会では、女はモテない男にちやほやされる存在だ。女自体が「商品」なのだから。いかにモテない男から金品を収奪し、自分のために大量に消費をさせるかが、女の「商品価値」をはかるバロメーターなのだ。恋愛資本主義においては女は(若くて綺麗なうちは)「強者」かつ「勝者」であり続けられるのだ。だが、オタク界は、男だけで成立しており、女は脳内の萌えキャラで代替されている。オタクにとっては、三次元の面倒臭い女よりも、二次元キャラのほうが「萌える」のだ。故に、たいていのオタクは三次元の女に対し、恋愛資本主義のお約束となっている奉仕活動を行わないし、彼女たちの機嫌も取らない。男だけ、自分だけで自足している。

今となってはかなり昔感もあるけれど、日本における非モテ論の代表的存在の一つとされる本田透の『電波男』は、二次元のキャラクターを恋愛対象とすることによって、リアル(三次元)の女性への恋愛可能性を放棄する議論と解釈できる。本田透の議論でもまた、上に引用した部分のように恋愛資本主義批判にかこつけた女性蔑視的な言及が多用されている点に注目したい。

ウエルベック非モテ論の隆盛

ここまで見て来たのは、直接的にリアルでの恋愛可能性を放棄する非モテ論だけれど、恋愛可能性を放棄する非モテ論の亜種として、近年強い影響力を持つ「ウエルベック非モテ論」と私が認識している非モテ論がある。

女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように、人間が神に服従することの間には関係があるのです。

ウエルベックの『服従』は、2022年のフランスにイスラーム政権が成立する小説だけれど、非モテ論的観点に絞って引用したい。以下は、イスラーム政権に降るように主人公を勧誘する役回りのルディジェとの会話だ。

「(中略)(筆者注:主人公が結婚相手を)本当に選びたいと思っているのですか」
「それについては……ええ。そう思います」
「それは幻想ではないでしょうか。あらゆる男性が、選ばなければならない状況に置かれたら、まったく同じ選択をします。それが多くの文明、そしてイスラーム文明において仲人を作り出してきた理由です。この職業は大変重要で、多くの経験を積んだ賢い女性だけに限られた職業です。彼女たちは無論、女性として、裸の若い女性たちを見て、一種の価値評価をし、各人の身体と、未来の夫の社会的地位とを関係づけます。あなたのケースについて言えば、あなたはご不満に思うことはないと思いますよ……」

(小説内の架空の)イスラーム社会では社会的地位に応じて半自動的に身体的に魅力的な女性があてがわれると言うのだ。そしてこの発想は日本のTwitterを中心とした非モテ論に大きな影響を与えている。

そりゃそうでしょ。テポ東や、エタ風さんのネタ元がウェルベックで、テラケイは、その二人からパクってるだけなんだから、元を辿ればウェルベックに似るだろうね。

https://twitter.com/99mina_jeju/status/969561509465440257

流石に「女をあてがえ」と明示的に主張するのはテポ東さんくらいと思われるけれど、非モテ論の文脈で「女性が半自動的にあてがわれるプロセス」として「(架空の)昭和のお見合い結婚文化」がユートピア的に持ち出されることは多い。

https://note.com/sumomodane/n/nda55d2cf494e

また、大量の統計をいかがわしく活用することで有名なすももさんなど、主に「女性の上方婚志向」への批判を軸としてリベラルやフェミニズムの欺瞞を指摘するネット論客もこのウエルベック非モテ論の一種と解釈できる。

現在この系統の議論を得意とするTwitterのアルファ、準アルファのアカウントは非常に多く、今の日本のネットで最も広く流通し、勢いがあるのはこの系統の非モテ論だと言えるだろう。

私がこれらの議論を「恋愛可能性を放棄する非モテ論の亜種」と述べたのは、まず「女性が半自動的にあてがわれるプロセス」を希求するのは自由恋愛を忌避する欲求に基づくことと、これらの議論を支持する人々の多くが言葉とは裏腹に本当に女性があてがわれる保守的な社会の実現を求めている訳ではなさそうという点にある。と言うのも、フェミニズムやリベラルの欺瞞を指摘するための言い回しは熱心に工夫する一方で、フェミニズムのように権利運動レベルで保守的な社会の実現に向けて活動している人はほぼ存在しないように見えるからだ。自由恋愛可能性を否定するフィクションとして、「女性が半自動的にあてがわれるプロセス」をある種現実逃避的に求めているのがその本質ではないだろうか。

フェミニズム非モテの相性の悪さ

必ずしも私に網羅的な非モテ論の知識がある訳ではないけれど、これまで見て来たように、広く支持される非モテ論の多くと女性蔑視的言及には半ば必然とも言えるような関係があるように見える。

その一方で、そのことが必ずしも非モテ男性の多くが反フェミニズム的思想を持っていることの証左にはならない。自身の恋愛可能性を抑圧する非モテは、非モテ論にわざわざコミットしたいと思わないケースも多いだろう。私の場合は非モテ時代から一貫してリベラル、フェミニズム支持の立場だった。

しかし、今非モテ時代の自分を振り返ってみても、フェミニズムの知識は非モテ意識のこじらせを強化する効果を持っていたように思う。上の赤木さんや琵琶さざなみさんの議論は相当極端に書かれているように見えるけれど、これに近い錯誤は当時の私にもあった。実際の女性とのコミュニケーションがまともに出来ていない状態でフェミニズムの知識だけがあって、そのことが頭でっかちで痛々しい認知の歪みを生じさせていたのだ。

リベラルな非モテ論に共感できない理由

さて、長大な前置きを書いて来て、やっとタイトルの本題に入る。ここまで触れて来なかったけれど、リベラルの立場からも「恋愛可能性を放棄する非モテ論」を構想することが可能だ。

ジェンダー論やフェミニズムは「女性が男性から」自立するという視点で繰り広げられるが、これは同時になぜ男性が女性から自立することができないのかという問題でもある。男たちには、「他者を介して」しか幸福になることを許されない呪いがかけられているのだ。

リベラルな非モテ論は、フェミニズムジェンダー論を応用して、非モテの欲望の相対化、脱自然化を試みる。それは典型的には、非モテの苦しみを「男性ジェンダー(男らしさ)の呪縛」として解釈したり、異性愛中心主義(ヘテロセクシズム)の内面化を批判したりするなど、非モテの苦しみの原因を保守的ジェンダー規範の抑圧に求める議論になる。

私が自身リベラル、フェミニズム支持の立場でありながらこういった非モテ論に共感できないのは、端的に非モテ当事者の立場を軽視しているように感じるからだ。現にTwitter小野ほりでいさんの記事への言及を検索すると、記事に強く反発する非モテ当事者の声が多くヒットする。

*3

そもそも非モテが脱規範的生き方を望んでいるという前提がまったくないのに、コミュニケーションに対する足場も固まっていない非モテに脱規範的な生き方を要請するのは、脱規範的生き方を抑圧下の逃避ではなく主体的に選択できる立場からの押し付けではないだろうか。

ではどうすれば…

これまで見て来たように、「非モテが恋愛を経験すること」と「女性の人権を尊重すること」の両立には何か決定的な相性の悪さがあるように思えて、この点を上手く解消できる理論については私も相当な時間を割いて思索して来たけれど、これだと言えるほどの解は未だに得られていない。

特に何か明快な答えという訳ではないけれど、私は烏蛇さんの「幸運(確率)」を評価する考え方が好きだ。確率、幸運ラック、そういうもので人生が大きく動くということは往々にしてある。ありのままの欲望を受け容れることができれば、あるいは。

*1:自身のキモチワルさと向き合い、性的欲望の形を把握することで非モテ的状態からの離脱を目指す。具体的実践としては、性風俗で女性に慣れることや、趣味のコミュニティでの出会いの可能性を説く。

*2:女性の立場を尊重した共感的コミュニケーション能力の醸成を試みる。

*3:2020/10/09追記。これらのツイートは2018年のもので、小野ほりでいさんの記事への言及ではない。

『モテないけど生きてます』 ―現代メンズリブの実践をマクロかつミクロに紹介する良書―

メンズリブ実践の仲間で交流のある西井開さんが本を出版したので、どういった魅力のある本なのか紹介したい。

現代メンズリブの実践を包括的に学べる良書

『モテないけど生きてます』はおそらくマーケティングを意識したタイトルで、中身は西井さんの主催する「ぼくらの非モテ研究会非モテ研)」の活動の詳細と、非モテ研の実践のベースにあるメンズリブメンズリブ研究会)や当事者研究べてるの家)、薬物依存者支援(三重ダルク)やDV加害者支援(メンズサポートルーム大阪)の様々な実践や手法を専門的な観点で紹介する手堅い作りになっている。実のところ非モテ研はいわゆる「非モテ」についての団体というよりは標準的なメンズリブ団体としての側面が強いので、現代メンズリブの実践に関心のある読者にとって興味深い本になっていると思う。

本書で特に面白いのは、非モテ研における当事者研究の実態を披露している部分だろう。下のように、西井さん以外の非モテ研メンバーも参加する複数の紹介方法を採用することによって、ただ西井さんの文章だけで説明するのでは伝わって来ない臨場感ある当事者研究の実態に触れられる工夫がなされている。

  • 西井さんによる自身の当事者研究の実践の紹介
  • 西井さん以外の参加者による自身の当事者研究の実践の紹介
  • 西井さんを聞き手とした参加者との当事者研究的対話の紹介
  • 非モテ研と関連して制作した作品(短歌、彫刻)の紹介
  • 西井さんと参加者の間で発生したすれ違い的不和とそこから和解にいたるエピソードを二者の内面を交互に取り上げる形で紹介
  • 非モテ研メンバー9人による対談

メンズリブのコアな持ち味である参加型の活動・コミュニティとしてのアクティブな魅力はこれまでのメンズリブ関連書籍からは今ひとつ伝わって来なかった部分なので、こういった工夫が見られるのは嬉しい。また、個々の実践において、本書の中で紹介されている当事者研究等の専門的手法が実際に有効に働いたエピソードも挟まれていて、各種専門領域に関するマクロな知識がミクロな実践に確かに活かされていることも読者の視点で理解できるようになっている。

本書の末尾に「解説 語りだした男たちに乾杯」として立命館大学教授の村本邦子さんがフェミニズム的観点から非モテ研を評価する文章を載せているのも、フェミニズムと連携しつつ男性ジェンダーの問題を考えるメンズリブの立場を明確にし、全体の印象を引き締める効果がある。

ともすればどうでも良い内輪の馴れ合いを読まされるお寒い同人誌のようになってしまうリスクのあるテーマを、構成の工夫と専門的観点の適度な導入によって、気取り過ぎず、ゆる過ぎずの絶妙なバランスに仕上げて、現代メンズリブ実践の入門書として広くオススメできる内容になっていると感じた。

関連文献

男性の加害的側面の語りを「ダークサイド」として受容するなど、本書における西井さんの方法論はこれまでも繰り返し詳しく語られて来たものだ。

西井さんの方法論については『現代思想男性学特集の「痛みとダークサイドの狭間で ―「非モテ」から始まる男性運動」や、上掲の私とのメンズリブ対談記事からも知ることができる。

Meow Attack(ニャー攻撃)で稼働中WebアプリのAWS S3保存画像を全削除されてしまった…

突然S3の画像がすべて削除された

自作のRailsアプリの短歌投稿サイトUtakataをいつものように眺めていたら、一部のユーザーのアイコンが表示されていないことに気づいた。もしやと思ってブラウザのキャッシュをクリアしてみたら、すべてのユーザーのアイコン画像がリンク切れになっていた。

当初はライブラリの問題かと思ったけれど、念の為AWSにログインしてS3のバケットを見てみたら、なんと最近アップロードされた不審なindex.htmlを残してすべての画像ファイルが削除されていた。

明らかに第三者から悪意のある攻撃を受けている事態に頭が真っ白になりそうだったけれど、取り敢えずAWSアカウントのパスワードを変えてからindex.htmlのソースをチェックし、危険性がないことを確認してから開いてみた。

f:id:fuyu77:20200921204323p:plain

猫のキャラクター画像に謎の文字列が羅列され、meow(ニャー、猫の鳴き声)。

HTMLファイルのソースコードは上のようになっていた。Base64エンコードされた猫画像にランダム文字列を生成するJavaScriptのシンプルな構成。コメントで被攻撃者へのメッセージが書いてある(翻訳は筆者によるもの)。

You don't deserve to have files if you don't know how to secure them properly
https://aws.amazon.com/premiumsupport/knowledge-center/secure-s3-resources/

meow

ファイルを適切に保護する方法を知らないならファイルを持つ資格はない

ニャー

煽り文句にご丁寧にS3のドキュメントへのリンクが付けてある。

書き込み アクセスを Everyone グループに許可しないでください。この設定により、誰でもバケットにオブジェクトを追加できるようになります。この設定により、誰でもバケット内のオブジェクトを削除できるようになります。

S3の設定を確認してみたら該当ドキュメントにやるなと書いてあるこの設定をやってしまっている初歩的なミスだった。

Everyoneに書き込みを許可しているとシンプルなHTTPリクエストで画像のアップロード、削除ができるようだ。初心者の頃に良く分からずに全許可設定にしてその後S3の設定はまったく見ていなかったのが仇になった。

Photo credit: https://twitter.com/rsec17, https://note.com/rsec/n/n53882573675d. No Affiliation with them, I just thought it was cute.

私とこれらは無関係で、ただ可愛いと思っただけ。

これまたご丁寧に画像のソースの記載もある。コメントにも書いてあるように、イラスト作者と攻撃者は別人なのだろう。

Meow Attack

インターネット上の保護されていないデータベースのほぼすべてが削除され、「Meow(ニャー)」というネコの鳴き声だけが書き残される「Meow Attack(ニャー攻撃)」が報告されています。

私が受けたのはこのMeow Attackの一種だろう。どうやらいたずら以上の悪意はないようだ。

Utakataユーザーへのお知らせと反応

取り敢えずアイコン画像をリンク切れからデフォルトアイコンを表示するところまでは復旧して、Utaktaユーザーにお知らせした。S3のバージョニング機能も利用していなかったので削除された画像の復旧はできない。

攻撃を受けたとは言え私のかなりマヌケなミスなので本当に申し訳ないという感じだけれど、今回の画像削除事件を題材にしたようにも見える短歌がいくつかアップされていてユーザーの温かさを感じた。

追記

このブログを読んだらしい攻撃者から2020/09/29にTwitterのDMで謝罪が来た(翻訳は筆者によるもの)。

I wanted to apologize for your files in your s3 bucket getting deleted, I created the meow attack, and I recently started targeting aws because of the bad security settings some buckets have set up, but I have since stopped attacking s3 buckets

S3バケットのファイルが削除されてしまったことについて謝罪したいです。ニャー攻撃を作ったのは私で、一部のバケットのセッティングに不備があるため、最近AWSを標的にし始めましたのですが、今はS3バケットへの攻撃をやめています。

I’ve stopped doing aws buckets because I feel that deleting files can be more damaging to people, and it can happen to more common people, unlike elasticsearch and mongodb which would take someone decently skilled enough to setup, but too lazy to add security,

AWSバケットを対象にするのをやめたのは、ファイルを削除することは人々にとって手痛い被害になり得るし、セットアップするには十分なスキルを持っているが、セキュリティを追加するには怠惰過ぎる人が関わりがちなElasticsearchやMongoDBと違って、より一般の人々にその被害が起こり得ると思ったからです。

I created the meow attack to stop data leaks by deleting everything, but I feel that deleting files in s3 buckets is too harsh. I apologize again that your files were lost in the attack, I sincerely apologize

すべてのデータを削除することでデータ流出を止める目的でニャ―攻撃を作ったのですが、S3バケットのファイルを削除するのはあまりにも酷だと思うようになりました。この攻撃であなたのファイルが失われてしまったことを改めて謝罪します。心よりお詫びします。

メッセージから察するに、攻撃者はハッカー的な信念を持ってニャ―攻撃を行っていたが、パンピーが大事にS3に保存しているファイルを削除してしまうのは流石にやり過ぎだったかも、正直すまんかったという感じだろうか。誠実に謝っていると感じたので、「まあ勉強になったし、ええよ。ブログにこの謝罪文紹介して良い?」的なメッセージを英語で投げて一件落着にいたった。アイコンが消えてしまったのは残念だけれど、今後の勉強になった部分はあるし、稀有な体験ができた事件だったと思う。