自分と付き合いたい願望

この匿名ダイアリーを読んで、昔の自分もこんなことを考えていたなあ、と、思った。

過去の私は、自分と良く似た人と付き合って、深いところで分かり合うのが恋愛だと思っていた。

でも、実際に自分と全然違うタイプの人と付き合ってみて、分からないところを分かろうとする面白さとか、全く異なる考え方とか感性に触れる楽しさ、みたいなことが分かってきた。

単純に実利的な面で言っても、能力値のパラメータがまったく同じ割り振りになっている同士で付き合ったとしたら、苦手な状況に陥ったときに、二人でテンパってネガティヴスパイラルに陥ってしまうかも知れない。片方が余裕を失っているときに、もう片方が余裕を保てると、破滅的な局面を迎えることを避けられる気がする。

この辺りのことは、橋本治が『恋愛論』に分かりやすくまとめてくれている。

恋をする、恋が成立するっていうことで非常に重要な条件ていうのがあってサ、それは何かっていうと、お互いに矛盾してる二つのことなのね。一つは"その二人が似てる"ってこと。もう一つは"その二人が正反対だ"っていうこと。違うから惹かれる、同じだから分かる――言ってみれば簡単なことだけど、これはホントに重要。重要で、そして結構忘れられてることね。恋愛が破局に到るっていうのは、もう必ず、このどちらか一方の条件が成り立たなくなってる時なんだから。

「親友」という幻想

振り返れば、私は「自分と付き合いたい」的な思いを友人に対しても抱いていて、ごく少数の気心の知れた相手としかまともに話さない(話せない)という人間関係の築き方をしていた。

高校時代には何人かの「親友」に恵まれたのだけれど、今彼らと会ったりすると、所属環境と社会的階層がずれて来ているせいで話題を合せるのが難しくて、「この人は自分と似ている」というようなことは大部分が幻想だったということに気づく。

端的に「コミュ障」だったのだと思う。

最近やっと他人と自分が違うということが受け容れられるようになってきた。

孤独

ただ、今の環境には肝心の話し相手がいない。私の専修にはゼミという文化がなくて、卒論は各個人で勝手に書けというスタイル。ほとんど誰とも話さずに一日を終えることも多い。

高校卒業後、一浪して入った大学の中退を経て大学生のようなことを7年近く続けている。「大学生」という泥沼から一刻も早く抜け出したい。あと半年の辛抱だと、自分に言い聞かせながら、孤独に耐える日々を送っている。