つながりを求めないインターネット

イーロン・マスク体制のTwitterがあまりにも不安定すぎることもあり、私もMastodonを始めてみた。

Twitterのような大企業による開発・運用体制を持たない形態からして当たり前の話ではあるけれど、Mastodonの機能性はTwitterと比べて弱い。その一方で、シンプルな作りであるが故に、何かを投稿して、知らないユーザーからいいねが来るというような、SNSの原始的な体験を再発見できる感覚がある。

対してTwitterはどうか。増えないフォロワー。ミュート。ブロック。有料noteで煽動する論客への苛立ち。引用ツイートでのクソリプ。スペースでのどうしようもない暇人たちの集まり。インタラクティブな「つながり」を実現する機能が充実している一方で、承認欲求と内輪への関心に閉じて行く様に、何とも言えない行き詰まりのような感覚がある。

Twitterに限らず、「つながり」に関心が傾いたインターネット体験は苦しい、と最近私は感じている。

インターネットに何かを投稿するということに、「フォロー/フォロワー」のような目に見えるつながりはなくとも、無限に開かれた可能性に胸をふくらませるような感覚が、かつて誰にでもあったと思う。時代は進んでも、Webの仕組みはそれほど大きくは変わっていない。変わったのはユーザーのあり方だ。

私は「つながり」ではなく自己満足としてのインターネットをもう一度求めてみたいと思っている。その試みの一つとして、まずはブログにこういう簡単なエッセイを書くところから始めたい。