『東京タラレバ娘』愛されたい願望と愛することのむずかしさ

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最近東村アキコさんの『ヒモザイル』を読んで、自分のアシスタントを「クソメン」呼ばわりして上メセでモテ指南するという内容に、青筋立ててキレつつも、漫画としての面白さには惹かれてしまう(第二話の「抜け感男子」には吹いた)という体験をした。

そこで、批判するにしても他の作品も読まなければと思って取り敢えず一巻だけでもと『東京タラレバ娘』を買ってみたのだけれど、漫画として面白すぎて結局三巻まで一気に読んでしまった。とにかくテンポが良くて、笑えるし、一方で絶えず刺されているような痛さもある。

東京タラレバ娘(1) (KC KISS)

東京タラレバ娘(1) (KC KISS)

愛されたい願望

主要キャラの女性三人はバリバリ働く自立した女性でありながら、恋愛についてはひたすら受身で主導権をほとんど男性側に丸投げしていて、三巻終了時点で三人ともダメンズなイケメンの言われるがままされるがままに翻弄されているという有様だ。

昨今、日本の男性はAVのせいで"セックス=支配的・暴力的なもの"と思い込まされているのではないかと、しばしば指摘されるようになった。一方で、女性もまた、少女漫画というまほろばの湯に肩までどっぷり浸かった結果、"恋愛=受動的・依存的なもの"という幻想を刷り込まれて手放せなくなっている人は多い。

福田フクスケさんは、この受身なスタイルを、「少女漫画」のファンタジーとして、作者は「彼女たちを毒する「少女漫画脳」というロマンティック・ラブ至上主義の洗脳を、いささかスパルタなショック療法によって解こうとしている」と分析する。

でも、私はそれだけだろうか、とも思う。自分で恋愛を経験したり、色々な恋愛模様を観測したりしていて、女性が愛されることによって、生き生きとした、何か「男性」である私には得られないような生命の充実感を得ているような状態は、「ファンタジー」とは別の次元で確かにあるのではないかと感じる。問題は、その愛される喜びを一方的に享受することが可能なのだろうか、ということだと思う。

レイプなのか愛なのか

一巻の最後に、主人公で、若手に仕事を奪われつつある脚本家の倫子が、歳下イケメン毒舌モデルのKEY(倫子とその友達の3人の女性キャラに並ぶ主要登場人物)に、「俺に枕営業してみろよ」とレイプまがいの迫られ方でセックスするシーンがある。

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何でレイパーが堂々と二巻以降も主役面して説教垂れてるんだ、「※ただしイケメンに限る」ってやつか、これだから女は、とか言いたくなってしまうのだけれど、そこにはちゃんとKEYが倫子に特別な感情を抱いているのではないか(「枕営業」は本音ではないのではないか)、と示唆する描写が用意されていて、実際のセックス描写も、

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こういう感じになっている。一応体位としてはKEYが上で責め感を出しているけれど、しっかりと目を開いて倫子を見つめていて、身体への繊細な配慮が感じられるし、互いの身体の密着度も高い。「これはレイプではないな」と直観的に感じられ、倫子本人も「ゆうべの私は愛を手に入れたと思えた瞬間がほんの一瞬ですがあったんです」とモノローグしている。

愛の積極性とセクハラのジレンマ

ただ、言葉がレイプ的で、行為は紳士的というのはやはりファンタジーだよな、とは思う。

現代の男性は、性的な文脈で積極的にアプローチすることがセクハラになり得るということは理解していて、「草食化」と言われるように、恋愛へのアプローチは消極側に振れている。『東京タラレバ娘』に出て来るような、特別に親しい訳でもない女性に安易に積極的なアプローチを試みる男性というのは、セクハラオヤジマインドの雑魚か、或は余程の手練れか、いずれにせよ何か危険な意図を隠し持っている人間しかいないのではないか。『東京タラレバ娘』に出て来るイケメンも、不倫男だったり、元カノをセフレキープするバンドマンだったりと酷い有様だ。

まとめ

愛されることよりも愛することの方が、気を遣わなければいけないことが多いので難しい。これから、三人の主要キャラが「愛する」ことも出来るようになっていくような、そういう展開になると期待したい。