AIアシストで人間が強化される世界線についての所感

前回の記事で書いたように、個人的にChatGPTに相談することは、既にGoogle検索と同じくらい生活の中で当たり前の行為になっている。このまるで魔法のような応答を見せるツールを使っていて、感じたことが色々とあるので、書いておきたい。

知的探求のツールとしての使い方にこれまでと大きな違いがある訳ではない

わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在リ〕」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。

情報の真実性を吟味する上で、様々なソースや実験などを通じて多角的に疑った上で、確かに真実らしいと思える事柄を、(将来的に反証され得る)事実と仮定し、その仮説の上に更なる仮説を積み上げる、デカルトの方法的懐疑に基づく演繹法が、近代以降の知的探求のベースとなる方法論と言えるだろう。

翻ってChatGPTの場合は、有益な情報を答えてくれることが多い一方で、hallucination(幻覚)と呼ばれる、まったくの架空の内容をそれらしく回答してくる現象も頻繁に発生する。この真実性にムラのあるアウトプットに対応する上で、従来の方法的懐疑が変わらず有効に機能すると気づく。具体的には、ChatGPTの回答を鵜呑みにせず、使用者が自ら裏取りを行う必要がある。

このように、性質の違いこそあれ、知的探求を補助する従来のツールと、使い方の方法論の部分では決定的な違いが出て来る訳ではないため、GPT-4を本格的に使い始めてまだ1か月も経っていないけれど、生活に浸透するレベルで使いこなすことができている。

動作原理がサッパリ分からない

率直に言って、私はGPTやLLMの動作原理をまったく理解できていない。技術的な難易度が極めて高いこともあるし、識者の解説記事を読んでみても、人によって言っていることがバラバラで、多少なりとも真っ当な理解にいたるまでのハードルが非常に高く感じる。

最近はChatGPTのアシストを受けて、普段使っているプログラミング言語Rubyの言語仕様を掘り下げて理解したり、RubyのライブラリのRailsソースコードを読み解いたりしているけれど、「訳の分からないものを使って、訳がちょっと分かっているものを、より分かるようにする」というのは、何だかこれまでにない不思議な体験のように感じる。

労働者が楽になる訳ではなさそう

AIアシストによって知的生産性を上げた上で、これまでと同じ時間働いたとすると、労働の密度が上がって疲労度が高まると思われる。

"I’m very optimistic that we could increase productivity," he said in an interview at a conference in Glasgow. "We could increase our well-being generally from work and we could take off more leisure. We could move to a four-day week easily."

グラスゴーで開催されたカンファレンスでのインタビューで彼(ノーベル経済学賞受賞者のクリストファー・ピサリデス)は、「私は生産性を向上させることができるだろうと非常に楽観的に考えています」と述べた。「私たちは仕事から得られる幸福感を全般的に向上させ、より多くの休暇を取ることが可能になります。週4日制に簡単に移行できるでしょう」

そろそろテクノロジーの進歩で実際に労働時間が減る世界観を実現したいものだ。

現状様々な格差を生んでいる

現時点でのChatGPTは、様々な観点で格差を生んでいるように見える。

アメリカの一部企業に技術が集中している

元々現代のIT先端技術はアメリカ企業に集中している印象があるけれど、AIツールの現状は、アメリカの一線級の起業家が集って開発中止を求めるほど、アメリカ企業の中でも特に、OpenAIとその出資元のMicrosoftに知見が集中している。

「倫理的な面でたくさんの懸念があります。一番問題なのは、世界で数えるほどの企業だけが、これらのAIを開発し、提供するリソースを持っているということです。中立的でもなければ、民主的でもない。究極的には、彼らの利益につながるようにつくられています」

「こうした企業は、膨大なデータとクラウド設備、そして(米グーグルの)Gメールや(米メタの)フェイスブックを通じてデータを抽出し続けるための巨大な消費者市場を持っています。いま話題のAIは、こうした資源と権限の集中の結果として生まれてきたもので、技術的な革新の成果ではありません。しかし、『魔法みたい』『人間より賢い』『いろんなことに使える』という誇大宣伝が、正確性も安全性もわからない実験的な技術を、正当化することに利用されています」

このような懸念はもっともなことで、ただのツールのユーザーとして一喜一憂しているのは、いかにも踊らされているような感覚もある。

日本のICTは結局、本質的につらいことをやっていないのです。OS、ネットワーク、セキュリティ、クラウド技術といった現代社会の基礎を作ってこられた世界中の方々は、みんなつらいことをやっているのです。問題に直面して頭脳を使って自分たちで考え、解決してきたのです。

ただし、日本人として言うと、基盤となるような技術開発の分野で遅れていて、アメリカ企業の製品のユーザーの立場に終始してしまっているのは何もAIに限った話ではなく、これは根深く如何ともしがたいことのようにも思える。

特定のジャンルが重点的に学習されている

極めて広範囲な知見を回答可能で、ソースコードの出力も流暢に行えるIT領域は、明らかにOpenAIによって重視され、重点的に学習されているように思われる。他のジャンルで使うと、IT領域ほどには有用な感じがしないのが現状だ。

AIツールを使いこなすために使用者にその分野の知見が要求される

hallucinationが頻繁に起こる性質と関連して、自分が一定以上得意なジャンルで使わないと、適切に質問することもできなければ、回答を吟味することもできない。得意なジャンルをより得意にすることには使えても、サッパリ分からないジャンルを分かるようにするためには使いづらいと言えるだろう。

有効なツールの利用に課金が必要

無料のGPT-3.5と、月額20ドル課金して使えるGPT-4では、hallucinationの起きづらさや入力可能な文字数の観点で、機能性に決定的な差がある。一般的なサブスクサービスと比べても、20ドルはやや高く、課金を躊躇する人も多いだろう。今後有用な課金ツールが多数出現する場合には、どれに課金するかの取捨選択も適切に行う必要が出て来そうだ。

学習に発展途上国の人材が搾取されている可能性がある

実際に作業を担当したケニア人の労働者は「幼い子どもが見ている中で犬とセックスする男についての文章を読み、繰り返し起こる幻覚に苦しみました。あれは拷問です。そういった文章を1週間を通じていくつも読むことになります」と語っています。給料は年功序列と業績に基づいて決められており、時給1.32ドル(約170円)から2ドルだったとのこと。

ChatGPTのポジティブで人間に忠実なキャラクター性の構築が、発展途上国の人材の搾取の上に行われているとしたら、それは恐るべき不公正と言えるだろう。

格差の解消への尽力が求められる

Second, market forces won’t naturally produce AI products and services that help the poorest. The opposite is more likely. With reliable funding and the right policies, governments and philanthropy can ensure that AIs are used to reduce inequity. Just as the world needs its brightest people focused on its biggest problems, we will need to focus the world’s best AIs on its biggest problems.

市場の力によって、貧困層を支援するAI製品やサービスが自然に生まれることはない。むしろ、その逆の可能性が高い。信頼できる資金と適切な政策があれば、政府や慈善団体は、AIが格差を解消するために使われることを保証することができる。世界がその最大の問題にフォーカスするために最も優れた人々を必要とするように、世界最高のAIを最大の問題にフォーカスさせる必要がある。

ビル・ゲイツが「AIの時代は機会と責任に満ちている(The Age of AI is filled with opportunities and responsibilities.)」という言葉で締める上の文章が示唆するように、一部の最先端企業の自由競争にすべてを任せるのではなく、非営利かつ国際的な枠組みで格差解消に向けた活用を模索する動きが将来的には必要になって来るだろう。

おわりに

以上、現状のChatGPTについて思うことを書いてみた。AIツールのこれからの発展が何だか怖いような気持ちもする一方で、この驚くべき技術の大衆への普及の開始点に、ユーザーとして立ち会えたことに新鮮な喜びを感じている。これから先、どのような未来が待っているのだろうか。「歴史」として思いを馳せるような激動の時代が、実は今私たちが生きているこの時代こそ、まさにそうだったのだと振り返るときが来るのかも知れない。

Web開発の現場でChatGPTを便利に使う方法

最近ChatGPTに月額20ドルの課金をして、GPT-4を使っている。Webアプリケーション開発の仕事で、情報漏洩の観点から、業務情報をインプットに一切含めない範囲で使っているけれど、それでも明らかに知的生産性や技術の学習効率に、これまでの世界観が変わるほどの違いを感じているので、有効に使えるユースケースの紹介と、便利に活用する方法について書きたい。

有効なユースケース

業務で有効性を確信したユースケースと、応答例を紹介したい。これらのユースケースは、特にプロンプトの工夫なく、自然な日本語のやりとりで活用できる。

ラクティスの相談

特定のプラクティスのメリット・デメリットの整理や、どうしてそうするのかの理解の深堀りに使える。

実装方法の相談

一定以上メジャーな言語やライブラリの実装方法を相談すると、かなり込み入った要件でも、サンプルコードを示して解説してくれる。エラーメッセージを入力すると、エラーを回避できる実装案を回答してくれたりもする。

シェルコマンドや各種設定ファイル、正規表現などの解説

Webサイト上に公開されているシェルコマンドや各種設定ファイル、正規表現などをコピペして解説させると、直に読み解くよりも素早く、深く理解できることが多い。シェルコマンドを解説させた後に「実行例を教えてください」と聞いたりすると、まるで実際に動かしたかのように実行結果のサンプルを回答してくれて驚く。

文章の要約、英文の翻訳

GPT-4はかなりの入力文字数を許容するため、英語の記事を丸ごとコピペして要約させたりすると、記事の概要がザックリと把握できて便利だ。

上手く使うコツ

回答の生成中に他の作業を進める

GPT-4は回答の出力速度が遅いので、回答を生成させつつ、ブラウザの他のタブで別の作業を進めて、後で結果を確認すると、効率的に作業を進められる。

掘り下げて質問する

同じスレッドの範囲では過去のやりとりを参照してくれるようなので、掘り下げて質問を繰り返すことで、有効な回答を引き出せるケースが多い。

過去のやりとりを活用する

AIがスレッドのやりとりの内容を要約したタイトルを自動で付与して、過去の回答履歴を保存してくれる。読み返す以外にも、過去のスレッドに新たに質問を追加することも可能なので、その話題について後から気になったことを質問して掘り下げることが可能だ。

注意点

出鱈目を回答する可能性がある

しかし、LLM chatbotに限らず例えば機械翻訳分野などでも用いられてきたニューラル言語モデル(NNLM)には古くから知られる問題があり、それは現在における各種LLMでも根本解決は出来ていません。それが"Hallunication"(幻覚)現象です。分かりやすく言うなら、LLM含むNNLMが堂々と流暢に嘘っぱちをアウトプットする、という現象です。

ChatGPTを使っていると、hallucination(幻覚)と呼ばれる、まったくの架空の内容をそれらしく回答してくる現象に頻繁に遭遇する。この現象は学習データが薄い話題で起きやすいと思われる。ChatGPTの回答結果を鵜呑みにせず、使う人間が自ら裏取りをして、回答結果を吟味する姿勢で使うのが重要だ。また、ぱっと見で回答の妥当性を判断できる程度に自分が得意なジャンルで使うのが効果的だろう。つまり、GPTの学習データが豊富で、使う人間も得意なジャンルであることが、現状のChatGPTが有効に機能する条件になって来そうだけれど、これはなかなかハードルが高いと感じている。そもそもの話として、明らかに重点的に学習されているように見えるIT領域以外について、現状のChatGPTはどのジャンルが得意なのだろうか、ということも定かではないからだ。

疲れる

他であまり言われていない気がするけれど、AIアシストありで仕事をすると、同一労働時間の疲労感が高まると感じている。作業の手を止めて、ああでもない、こうでもないと、問題の解決方法を考える時間がChatGPTの回答によってカットされて、意思決定や実装などの知的負荷の高いタスクを一日中集中して取り組むような働き方になるからだ。あまりやり過ぎないようにセーブしないと、体調不良に陥る危険があると感じている。

おわりに

以上、ChatGPTの便利な使い方についてまとめてみた。従来のGoogle検索主体のソリューション探索方法と比べて、有効な解に辿り着くまでの時間が劇的に短縮されるケースが多いと感じている。

AIアシストが当たり前になる世界観について色々と感じていることがあるので、エッセイ的な記事も別に書きたいと考えている。

upsert_allメソッドを使って手軽に更新できるrails db:seedコマンドを作る

Railsで開発環境のデータを追加するrails db:seedコマンドの中身で、Rails 6で追加されたupsert_allメソッドを使うと、後から何度でも上書き更新できるコマンドにできて便利な印象があるので、実装例をサラッと書いておきたい。

seedsをCSVで用意する

データの形式は何でも良いのだけれど、RDBのレコードに対応するデータはCSV形式で書くのが直感的で扱いやすい印象があるので、今回はCSVで登録する方式とする。db/seedsディレクトリ下に、"#{テーブル名}.csv"命名ルールでCSVファイルを作成し、ヘッダーにカラム名の形式で登録する。

seeds.rbでupsert_allで更新する

CSVの中身を、upsert_allの引数に指定できるhashの配列に変換する。upsert_allではcreated_atとupdated_atも指定する必要があるので、現在時刻を入れておく。

実行

bin/rails db:seed

これで後から何度でも上書き更新できるdb:seedコマンドができた。実行時間も短く収まる処理になっていると思う。

インドア人間が奈良に一年住んでみて感じている地方移住のメリット・デメリット

2021年の10月に東京から奈良に転居して1年以上が経つ。一般に、地方移住してみた結果の紹介記事のようなものは、外交的でアクティブな人が書くようなイメージがあるけれど、内向的で出不精な私もかなり楽しく暮らせているので、感じているメリットとデメリットを書きたい。

奈良移住の背景

妻の大学が奈良女で私も大学が関西だったので、学生時代に奈良でよく遊んだ経験があり、また、個人的に奈良の史跡が好きで、一人で奈良を散策する機会も多かったため、夫婦で奈良への印象が非常に良く、いつか奈良に移住したいねというようなことを話していた。その意向を会社のCTOとの1 on 1 Mtgで伝えたところ、すぐに会社の承認フローを通してもらえて、意外なほどアッサリと奈良への転居が可能になった。

奈良の中心部の近鉄奈良駅のすぐ近くに引っ越して来て、私はフルリモートでWeb系エンジニアの仕事をしていて、妻は医療系の現場の仕事をしている。

移住して良かったこと

近所が充実していて、散歩が楽しい

近鉄奈良駅付近は、飲食店や雑貨店などの数が非常に多く、家の近くを散歩しているだけで何だか満足した気持ちになってしまう。

とは言え内向的な人間なので、チェーン店以外の飲食店にはなかなか入る度胸がなかったりするのだけれど、飲食チェーンの選択肢も多いのがありがたい。

引越し前の、東京の大田区の外れに住んでいた頃は、近くのまともな飲食チェーンの選択肢がデニーズしかなかったけれど、今はやよい軒、松のや、珈琲館、餃子の王将松屋モスバーガーサイゼリヤなど、色々と気分によって行き分けることができている。

地方移住して一番のメリットとしてチェーン店の話を始めるのはあまりにもアレな感じがするけれど、出不精人間にとって徒歩圏内の充実度は大事だ。奈良以外の一般論としても、東京の家賃の安い地域よりも、地方都市の中心部の方が徒歩圏内が充実しているということは大いにあり得るのではと思う。

家賃が安い

今は毎月の家賃が9万円の2階建て2LDKテラスハウスタイプの物件に住んでいて、引っ越したときに新築だったので設備が充実していて快適だ。

大田区の頃の築40年以上の戸建て賃貸は、風呂はバランス釜だし、キッチンに蔦が侵入して来るしで色々と大変だった。

移住して良くなかったこと

現地の賃金水準がすごく低い

妻の医療系の仕事の給料が東京にいた頃と比べて尋常でなく下がってしまった。求人情報を見ても、ちょっとびっくりするくらい色々な職種の賃金水準が低い気がする。

ただ、妻の場合それで悲観しているという訳ではなく、最近は歌人・文筆家としての副業でかなりの売上を出していて、日々色々な友人や業界関係者と交流していて楽しそうだ。

夫婦で財布は別でやっているけれど、移住してからは私の家計負担率をより大きくしている*1。移住に際しては、現地の賃金水準と照らし合わせて、世帯収入が無理のある形にならないかの確認が必要ということだろう。

この点、私の職業のWeb系エンジニアは、現在フルリモート可の求人が多数あり、東京の会社の給料で地方都市に住めるのはちょっとずるい感じがする。

関西弁が喋れないと旅行者扱いされる

関東のイントネーションで喋っていると、「ご旅行ですか?」と言われることが多い。地域になじむには関西弁が喋れないとつらい気がする。私も関西の大学にいた頃は関西弁で喋っていたのだけれど、何となく真似て喋っていただけなので、リモートワークしていると日常的に関西弁で話す機会がないし、日常生活で関西弁を話せないと意思疎通に支障があるという話ではまったくないので、どうしても出身地である関東のイントネーションで話しがちになってしまう。

おわりに

何だか地味な話しかしない記事になってしまったけれど、今まで住んで来た地域*2の中では奈良がすごくしっくり来る感触があり、何かない限りはずっと住んでいたいと思っている。

*1:元々私の負担率を大きめにしていたけれど、更に大きく調整した。

*2:平塚(神奈川)、富山、京都、刈谷(愛知)、大田区(東京)。割と多い。

はてブのユーザーの質は低いが、はてブの機能性自体は悪くない

ヨッピーさんとはてなブックマーク(以下はてブ)ユーザーが揉めたのを発端として、はてブユーザーのマナーの悪さについて議論が起きている。この点については私も一家言あるので書いておきたい。

はてブコメントの何が不快か

上のブロガーの方々も語っているように、はてブのトップページなどに掲載されると極めて不快なコメントが大量につくというのは、多くのブロガーが経験していることだろう。

私も一昔前ははてブでも特に質の低いコメントが付きやすいフェミニズム / ジェンダー論関連の話題でよく記事を書いていたので、記事に不快なブコメが大量に付くという経験をしたことは多い。まずは個人的に感じている、ブコメが不快な理由についてまとめてみる。

論旨と関係ない内容で好き勝手に罵倒される不快さ

まず前提として、文章を書いてインターネットに発表している人間としては、たとえネガティブなものでもフィードバックがあるというのはありがたいことだ。批判されるから嫌だ、という話にはならない。

では何が嫌かというと、記事タイトルや本文の言い回しの一部を切り取って、記事の論旨と関係のない罵倒を好き勝手に書かれることだ。

最近のはてブユーザーはまとまった量の文章を書かない

また、ブコメ以外のまとまった記事でレスポンスを書くようなことがほぼないのも最近のはてブユーザーの特徴だと思う。手間暇かけて書いた記事の中身が何も読まれずに、短文で罵倒されて、はてなスターの承認の餌にされる様子の腹立たしさというのは筆舌に尽くしがたいものがある。

最近のはてブユーザーの不快なところ

  • 文章を読まない
  • 文章を書かない
  • 言葉遣いが攻撃的

まとめると、これらの特徴が最近のはてブユーザーの不快なところ、ということになる。「言葉遣いが攻撃的」については昔から変わらないはてブユーザーの特徴だと思うけれど、「文章を読まない/書かない」は最近特に顕著になっている特徴なのでは、と私は見ている。はてブの不快さは、ひとえにユーザーの質が劣化していることに起因しているのではないか。

とは言え、はてブの機能変更で民度を上げる提案には賛成できない

「人気コメント」欄の廃止など、はてブ民度を上げるための機能変更の議論も今回起こっているのだけれど、個人的にはあまり賛成できない。

悪質ユーザー対策のためにはてブ自体をつまらなくするのでは本末転倒

例えば、はてブコメントの不快さを軽減するためには、はてなスターと「人気コメント」欄を廃止するのが最も有効な機能変更になるだろう。しかし、はてなスターも「人気コメント」欄も本来はてなブックマークのユーザー体験を良くする機能なのだ。

私は先日はてブを普通のソーシャルブックマークとして活用する方法について書いた。記事で紹介したIT分野のように、ユーザーがちゃんと参考になったコメントにはてなスターを付けている場合は、「人気コメント」欄は参考になるコメントの良質なフィルタリングとして機能する。

はてなは継続的に悪質ユーザー対策の機能変更をリリースしている

はてなはこれまでに、悪質ユーザー対策の機能変更を多数リリースして来た実績がある。

最近でも、人気エントリの表示ロジックを変更して、トップページが特定の攻撃的なトピックで占拠されるのを避ける試みがリリースされた。この機能変更によって、トップページが大分見やすくなったと感じている。リリース記事に書かれているように、ユーザーアンケートやインタビューを元に、ユーザー体験に向き合った丁寧な開発がなされている印象だ。

また、上の増田にあるサポート窓口の回答から読み取れるように、表現の自由について骨太な姿勢で運営されている点も、今どきの他の企業やサービスにはないものが感じられて好印象だ。

おわりに

確かに最近のはてブコメントの酷さは目に余るものがあるけれど、これははてブユーザーの劣化によるものであり、はてブの機能変更で対処するのは容易ではなく、また、下手な機能変更ははてブ自体の魅力や機能性を下げてしまうことにもつながる。

私は今のはてなブックマークの機能性が好きなので、一部ブコメの酷さについては一定やむを得ず、そういうものとして対処するしかないと感じている。

『ファイアーエムブレム エンゲージ』 ―ストーリーマップの魅力に原点回帰したSRPGファン待望の一作―

ファイアーエムブレム エンゲージ』をストーリークリアまで遊んで非常に楽しめたのでレビューを書きたい。

駄作の予感しかしない事前印象

事前印象だと、以下のような観点で駄作の予感が強く、「それでもFEシリーズである以上やるしかないか」という後ろ向きな気持ちで購入していた。

  • マルスなどが出てくるクロスオーバー作品
    • クロスオーバー作品はシナリオや世界観が破綻しがちな印象
  • 世界観・キャラクターが幼稚な印象で、特に魅力を感じられない
  • ゲーム部分も「いかにも普通のFE」という凡庸な印象

実際に遊んでみて、正直シナリオやキャラクターの稚拙さについては事前印象そのままな部分もあったけれど、SRPGのストーリーマップ攻略部分の完成度が圧倒的に高く、SRPGファンとして心の底から楽しめるゲーム体験だったため、その魅力について書きたい。

「ストーリーマップだけのSRPG」として遊べるありがたさ

前作の『ファイアーエムブレム 風花雪月』は重厚なシナリオとキャラクターの関係性の掘り下げで高い評価を得た作品で、私も全勢力クリアして楽しめたけれど、拠点要素の拘束時間が大きすぎてストーリーマップ攻略に集中できないことに強いストレスを感じていた。

「拠点要素とランダムバトルがない、ストーリーマップだけのSRPGを遊びたい」それが切実な願いだった。とは言え、現代にそのようなオールドスタイルな作品が出るというのも期待し難い部分があった。

そんな中、本作はまさに「ストーリーマップだけで遊べるSRPG」だったのだ。

具体的に言うと、拠点(ソラネル)の各種ミニゲームやランダムバトル(遭遇戦)自体はあるけれど、システム上任意参加となっており、拠点に行かない、ランダムバトルをやらないゲームプレイが可能になっている。更に重要なことに、クラスチェンジや武器の売買など攻略上必須の要素が拠点外のシステムメニューからアクセス可能となっており、拠点とランダムバトルを縛った条件でも、高すぎない難易度で遊べるように設計されているのだ。つまり、開発者の意図として、拠点やランダムバトルをやりたくない人はやらなくて良いゲームとして作られている。私は難易度ハードクラシックの拠点、ランダムバトル縛りの条件でプレイして、ストーリーマップだけのSRPGはこんなにも楽しいのだと、懐かしくも現代では得難いゲーム体験を新たに得られたことに、本当にありがたい気持ちを感じながら遊んでいた。

シンプルで奥深い戦略性

本作では武器残数システムが廃止されていたり、クラスチェンジが基本と上級の2階層になっていたりと、従来のFEからあるシステムががかなりシンプルに調整されている。

その一方で、本作固有の「エンゲージ」システムによって、FEの過去作主人公の魂が宿った指輪と出撃キャラを任意に組み合わせることが可能で、最大12個手に入るこの指輪がすべて性能の尖った強力なスキルを得られる仕組みになっているため、どのキャラをどのクラスにしてどの指輪を持たせるかによって、キャラの活用性が無限に広がる奥深さがある。実際に「FEエンゲージ」でTwitter検索すると、多彩な攻略法がプレイヤーによって開拓されている様子が分かる。

シナリオは残念な点も多いが、ゲーム部分と連携した表現は見事

TwitterAmazonで本作の評価を読むと、「シナリオは残念だが戦闘は面白い」という評価の傾向がほぼ確立されているように見える。実際に遊んでみて、シナリオについては、いかにも茶番じみた稚拙な部分が多いと私も感じた。

その一方で、マップやエンゲージシステムのようなゲーム部分と連携したシナリオの見せ方には優れたものがあり、ゲーム上の手強い展開とともに手に汗を握るような局面がいくつもあった。

昔からのFEプレイヤーのゆるすぎさんのルナティック初見ノーリセットの実況プレイ動画を見ると、本作のゲーム展開と絡めたシナリオの見せ方がいかに上手いかということがよく分かる。

おわりに

シナリオについては賛否両論の本作だけれど、SRPGのストーリーマップ攻略が好きな人には確実に楽しめる作りになっているので、ぜひ遊んでみて欲しい。個人的には、これまでに遊んで来た色々なSRPG作品を振り返ってみても、本作は最高に近いSRPG体験を与えてくれたと感じている。今は難易度をルナティックにして2周目を遊んでいるところだ。

つながりを求めないインターネット

イーロン・マスク体制のTwitterがあまりにも不安定すぎることもあり、私もMastodonを始めてみた。

Twitterのような大企業による開発・運用体制を持たない形態からして当たり前の話ではあるけれど、Mastodonの機能性はTwitterと比べて弱い。その一方で、シンプルな作りであるが故に、何かを投稿して、知らないユーザーからいいねが来るというような、SNSの原始的な体験を再発見できるような感覚がある。

対してTwitterはどうか。増えないフォロワー。ミュート。ブロック。有料noteで煽動する論客への苛立ち。引用ツイートでのクソリプ。スペースでのどうしようもない暇人たちの集まり。インタラクティブな「つながり」を実現する機能が充実している一方で、承認欲求と内輪への関心に閉じて行く様に、何とも言えない行き詰まりのような感覚がある。

Twitterに限らず、「つながり」に関心が傾いたインターネット体験は苦しい、と最近私は感じている。

インターネットに何かを投稿するということに、「フォロー/フォロワー」のような目に見えるつながりはなくとも、無限に開かれた可能性に胸をふくらませるような感覚が、かつて誰にでもあったと思う。時代は進んでも、Webの仕組みはそれほど大きくは変わっていない。変わったのはユーザーのあり方だ。

私は「つながり」ではなく自己満足としてのインターネットをもう一度求めてみたいと思っている。その試みの一つとして、まずはブログにこういう簡単なエッセイを書くところから始めたい。