Puppeteerで記事本文中のはてなブログタグを取得する

はてなブログの新機能

はてなブログの記事にはてなブログタグを設定できる機能がリリースされた。

はてなブログタグとは

はてなブログタグ」は「はてなキーワード」からWikiのようなユーザーによる編集機能が除外されて名称変更したサービスで、はてなブログに記事を投稿すると、記事本文中の単語にはてなブログタグの個別ページへのリンクが自動で付与される仕組みになっている。

Puppeteerで記事本文中のはてなブログタグを取得する

せっかくなので、記事本文中のはてなブログタグのリンク付与状況を取得して、はてなブログタグの設定の参考にできると良いと思った。

<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C8%F3%A5%E2%A5%C6">非モテ</a>

ブログ記事のソースを確認すると、はてなブログタグは上のような形式で挿入されているので、Webスクレイピングで容易に取得できそうだ。

Webスクレイピングは以前にも記事を書いたPuppeteerで行うのが簡単だ。

サクッと書いてみた。

先日バズった私の非モテ論記事で試してみる。

$ node index.js https://fuyu.hatenablog.com/entry/2020/10/05/002610
{
  '非モテ': 57,
  '小野ほりでい': 2,
  'フェミニズム': 13,
  '潜在的': 2,
  'ヘテロ': 2,
  'モリー': 1,
  '二村ヒトシ': 1,
  '森岡正博': 1,
  'ブッダ': 2,
  '古今東西': 1,
  rei: 1,
  '中村 元': 1,
  Kindle: 1,
  '本田 透': 1,
  '恋愛資本主義': 4,
  'バロメータ': 1,
  '本田透': 2,
  '電波男': 1,
  'ラク': 1,
  'ウエルベック': 4,
  'ミシェル・ウエルベック': 1,
  '服従': 3,
  'イスラーム': 5,
  '若い女': 1,
  Twitter: 3,
  'ウェルベック': 2,
  'ユートピア': 1,
  'ジェンダー': 4,
  '異性愛': 1,
  '性風俗': 1
}

やはり「非モテ」が圧倒的に多い。この記事であれば、「非モテ」と「フェミニズム」辺りをタグ設定しておけば良さそうだ。

参考記事

JavaScriptで配列の重複数をカウントする処理の参考にした。

リベラルな非モテ論に共感できない理由 ―絶対的恋愛不可能性と無限に開かれた恋愛可能性の相克―

リベラルな非モテ論への反発

小野ほりでいさんの記事を読んで、以前から「リベラル(親フェミニズム的)な非モテ論」のアプローチを理性では理解しつつも自身の過去の非モテ経験に照らし合わせて反発を感じる部分があった私は、何か反論のようなものを書きたい気持ちがあった。一方で、そういう観点で記事を書き始めたら意外に論点が深くなったので、私の非モテ論のコアにある「絶対的恋愛不可能性と無限に開かれた恋愛可能性の乖離による苦しみ」という考え方を用いて各種非モテ論を整理しつつ、何故「リベラルな非モテ論」には共感できないのかを考えたい。当事者性を抜きにこの問題を語ることは不可能という立場から、この記事では「非モテ」と言ったときに「交際経験が一度もないが潜在的に恋愛を経験したい欲望のあるヘテロ男性」を主な対象として想定している。

絶対的恋愛不可能性と無限に開かれた恋愛可能性の乖離による苦しみ

恋愛に強烈な苦手意識を持つ非モテは、自身が恋愛を経験することは絶対に不可能だという意識に自覚的または無自覚的に束縛されている。その一方で、潜在的に恋愛を経験してみたい欲望がある非モテにとっては、身の周りのあらゆる異性に恋愛可能性を見てしまう。この絶対的な恋愛不可能性と抑え難く感じてしまう恋愛可能性の乖離が(過去の私のような)非モテの苦しみのコアだと解釈できる。

非モテ論の二大潮流

この苦しみを解消するためには

  1. 交際を経験する
  2. 恋愛可能性を放棄する

の2つのアプローチがあり、ここに非モテ論の二大潮流が生まれる。

恋愛を経験するという最もシンプルかつ効果的な解法

こういった苦しみの最もシンプルな解決法は、普通に交際を経験することだろう。性的パートナーができれば、世の中に広く流通する性的パートナーは一人までというモノアモリー規範によって、身の周りの異性に恋愛可能性を想定せずに済むようになり、恋愛は可能であって、かつ無限に恋愛可能性を見出すことはしなくて良いという苦しみのない境地に辿り着くことができる。

非モテに恋愛を経験させるというアプローチでは、非モテ特有の恋愛に不向きな認知を矯正するという観点が重視される。具体例としては、反リベラル的なものでは藤沢数希の「恋愛工学」のような非モテ向けの味付けがされたPUA、ナンパ論があり、そうでないものとしては、二村ヒトシすべてはモテるためである*1森岡正博草食系男子の恋愛学*2などがある。

ちなみに私自身もこのアプローチで非モテ(であった過去の自分の)救済を熱心に考えていた時期があった。

非モテに恋愛可能性を見出すことのナンセンスさ

その一方で、こういったアプローチは、前述した「自身が恋愛を経験することは絶対に不可能だという意識に自覚的または無自覚的に束縛されている」非モテのあり方と決定的に矛盾しているという点で、非モテ論としては半ばナンセンスとも言えるものだ。現に上述した例はどれも純粋な非モテ論というよりは恋愛ハウツー的な要素を多分に含むものとなっている。恋愛に不向きな認知を矯正して恋愛を経験しようというのはある種合理的な解法だけれど、非モテ論としては恋愛不可能性に向き合うものこそがその真髄に近いと言えるだろう。

恋愛可能性を放棄する非モテ

自らの恋愛可能性をどのように放棄するか、また、抑え難い恋愛への欲求に抵抗して確かに放棄できたとどのように自身を納得させるかという難題に対して、非モテ論の先人は知恵を凝らして来た。

MGTOWとブッダ

完全に自分はMGTOWだとわかっている男性は、女性との関係をすべて避けている。それは短期間でも、長期間でも、恋愛においても言える。そういう人は結局、社会そのものを避けている。

彼等は古今東西あらゆる偉人が残した「女性とは関わるべきではない」という思想・言葉を漁り、それをミグタウの起源として主張しているのだ。

彼等は「ミグタウは人間社会において消える事のない火であり、近年それにフェミニズムがガソリンをかけて燃え広がった」と主張している。

近年の動きでまず注目すべきは、ダイレクトに恋愛可能性を放棄するMGTOWだろう。また、reiさんの記事で触れられているように、ブッダもMGTOWに近い発言を原始仏典『スッタニパータ』に残している。

交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

われは(昔さとりを開こうとした時に)、愛執と嫌悪と貪欲(という三人の悪女)を見ても、かれらと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。

「犀の角のようにただ独り歩め」がMGTOW(Men Going Their Own Way)と酷似している点と言い、女性を糞尿に喩える現代的視点からは極めて女性蔑視的な言及と言い、あまりにも現代のMGTOWそのもので驚くほどだ。

二次元(非リアル)への欲望の転換

電波男

電波男

  • 作者:本田 透
  • 発売日: 2005/03/12
  • メディア: 単行本

恋愛資本主義社会では、女はモテない男にちやほやされる存在だ。女自体が「商品」なのだから。いかにモテない男から金品を収奪し、自分のために大量に消費をさせるかが、女の「商品価値」をはかるバロメーターなのだ。恋愛資本主義においては女は(若くて綺麗なうちは)「強者」かつ「勝者」であり続けられるのだ。だが、オタク界は、男だけで成立しており、女は脳内の萌えキャラで代替されている。オタクにとっては、三次元の面倒臭い女よりも、二次元キャラのほうが「萌える」のだ。故に、たいていのオタクは三次元の女に対し、恋愛資本主義のお約束となっている奉仕活動を行わないし、彼女たちの機嫌も取らない。男だけ、自分だけで自足している。

今となってはかなり昔感もあるけれど、日本における非モテ論の代表的存在の一つとされる本田透の『電波男』は、二次元のキャラクターを恋愛対象とすることによって、リアル(三次元)の女性への恋愛可能性を放棄する議論と解釈できる。本田透の議論でもまた、上に引用した部分のように恋愛資本主義批判にかこつけた女性蔑視的な言及が多用されている点に注目したい。

ウエルベック非モテ論の隆盛

ここまで見て来たのは、直接的にリアルでの恋愛可能性を放棄する非モテ論だけれど、恋愛可能性を放棄する非モテ論の亜種として、近年強い影響力を持つ「ウエルベック非モテ論」と私が認識している非モテ論がある。

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように、人間が神に服従することの間には関係があるのです。

ウエルベックの『服従』は、2022年のフランスにイスラーム政権が成立する小説だけれど、非モテ論的観点に絞って引用したい。以下は、イスラーム政権に降るように主人公を勧誘する役回りのルディジェとの会話だ。

「(中略)(筆者注:主人公が結婚相手を)本当に選びたいと思っているのですか」
「それについては……ええ。そう思います」
「それは幻想ではないでしょうか。あらゆる男性が、選ばなければならない状況に置かれたら、まったく同じ選択をします。それが多くの文明、そしてイスラーム文明において仲人を作り出してきた理由です。この職業は大変重要で、多くの経験を積んだ賢い女性だけに限られた職業です。彼女たちは無論、女性として、裸の若い女性たちを見て、一種の価値評価をし、各人の身体と、未来の夫の社会的地位とを関係づけます。あなたのケースについて言えば、あなたはご不満に思うことはないと思いますよ……」

(小説内の架空の)イスラーム社会では社会的地位に応じて半自動的に魅力的な女性があてがわれると言うのだ。そしてこの発想は日本のTwitterを中心とした非モテ論に大きな影響を与えている。

そりゃそうでしょ。テポ東や、エタ風さんのネタ元がウェルベックで、テラケイは、その二人からパクってるだけなんだから、元を辿ればウェルベックに似るだろうね。

流石に「女をあてがえ」と明示的に主張するのはテポ東さんくらいと思われるけれど、非モテ論の文脈で「女性が半自動的にあてがわれるプロセス」として「(架空の)昭和のお見合い結婚文化」がユートピア的に持ち出されることは多い。

また、大量の統計をいかがわしく活用することで有名なすももさんなど、主に「女性の上方婚志向」への批判を軸としてリベラルやフェミニズムの欺瞞を指摘するネット論客もこのウエルベック非モテ論の一種と解釈できる。

現在この系統の議論を得意とするTwitterのアルファ、準アルファのアカウントは非常に多く、今の日本のネットで最も広く流通し、勢いがあるのはこの系統の非モテ論だと言えるだろう。

私がこれらの議論を「恋愛可能性を放棄する非モテ論の亜種」と述べたのは、まず「女性が半自動的にあてがわれるプロセス」を希求するのは自由恋愛を忌避する欲求に基づくことと、これらの議論を支持する人々の多くが言葉とは裏腹に本当に女性があてがわれる保守的な社会の実現を求めている訳ではなさそうという点にある。と言うのも、フェミニズムやリベラルの欺瞞を指摘するための言い回しは熱心に工夫する一方で、フェミニズムのように権利運動レベルで保守的な社会の実現に向けて活動している人はほぼ存在しないように見えるからだ。自由恋愛可能性を否定するフィクションとして、「女性が半自動的にあてがわれるプロセス」をある種現実逃避的に求めているのがその本質ではないだろうか。

フェミニズム非モテの相性の悪さ

必ずしも私に網羅的な非モテ論の知識がある訳ではないけれど、これまで見て来たように、広く支持される非モテ論の多くと女性蔑視的言及には半ば必然とも言えるような関係があるように見える。

その一方で、そのことが必ずしも非モテ男性の多くが反フェミニズム的思想を持っていることの証左にはならない。自身の恋愛可能性を抑圧する非モテは、非モテ論にわざわざコミットしたいと思わないケースも多いだろう。私の場合は非モテ時代から一貫してリベラル、フェミニズム支持の立場だった。

しかし、今非モテ時代の自分を振り返ってみても、フェミニズムの知識は非モテ意識のこじらせを強化する効果を持っていたように思う。上の赤木さんや琵琶さざなみさんの議論は相当極端に書かれているように見えるけれど、これに近い錯誤は当時の私にもあった。実際の女性とのコミュニケーションがまともに出来ていない状態でフェミニズムの知識だけがあって、そのことが頭でっかちで痛々しい認知の歪みを生じさせていたのだ。

リベラルな非モテ論に共感できない理由

さて、長大な前置きを書いて来て、やっとタイトルの本題に入る。ここまで触れて来なかったけれど、リベラルの立場からも「恋愛可能性を放棄する非モテ論」を構想することが可能だ。

ジェンダー論やフェミニズムは「女性が男性から」自立するという視点で繰り広げられるが、これは同時になぜ男性が女性から自立することができないのかという問題でもある。男たちには、「他者を介して」しか幸福になることを許されない呪いがかけられているのだ。

リベラルな非モテ論は、フェミニズムジェンダー論を応用して、非モテの欲望の相対化、脱自然化を試みる。それは典型的には、非モテの苦しみを「男性ジェンダー(男らしさ)の呪縛」として解釈したり、異性愛中心主義(ヘテロセクシズム)の内面化を批判したりするなど、非モテの苦しみの原因を保守的ジェンダー規範の抑圧に求める議論になる。

私が自身リベラル、フェミニズム支持の立場でありながらこういった非モテ論に共感できないのは、端的に非モテ当事者の立場を軽視しているように感じるからだ。現にTwitter小野ほりでいさんの記事への言及を検索すると、記事に強く反発する非モテ当事者の声が多くヒットする。

*3

そもそも非モテが脱規範的生き方を望んでいるという前提がまったくないのに、コミュニケーションに対する足場も固まっていない非モテに脱規範的な生き方を要請するのは、脱規範的生き方を抑圧下の逃避ではなく主体的に選択できる立場からの押し付けではないだろうか。

ではどうすれば…

これまで見て来たように、「非モテが恋愛を経験すること」と「女性の人権を尊重すること」の両立には何か決定的な相性の悪さがあるように思えて、この点を上手く解消できる理論については私も相当な時間を割いて思索して来たけれど、これだと言えるほどの解は未だに得られていない。

特に何か明快な答えという訳ではないけれど、私は烏蛇さんの「幸運(確率)」を評価する考え方が好きだ。確率、幸運ラック、そういうもので人生が大きく動くということは往々にしてある。ありのままの欲望を受け容れることができれば、あるいは。

*1:自身のキモチワルさと向き合い、性的欲望の形を把握することで非モテ的状態からの離脱を目指す。具体的実践としては、性風俗で女性に慣れることや、趣味のコミュニティでの出会いの可能性を説く。

*2:女性の立場を尊重した共感的コミュニケーション能力の醸成を試みる。

*3:2020/10/09追記。これらのツイートは2018年のもので、小野ほりでいさんの記事への言及ではない。

『モテないけど生きてます』現代メンズリブの実践をマクロかつミクロに紹介する良書

メンズリブ実践の仲間で交流のある西井開さんが本を出版したので、この記事では全体的にどういった魅力のある本なのか紹介する。後述するように、個別の論点については別記事としてアップする予定だ。

現代メンズリブの実践を包括的に学べる良書

『モテないけど生きてます』はおそらくマーケティングを意識したタイトルで、中身は西井さんの主催する「ぼくらの非モテ研究会非モテ研)」の活動の詳細と、非モテ研の実践のベースにあるメンズリブメンズリブ研究会)や当事者研究べてるの家)、薬物依存者支援(三重ダルク)やDV加害者支援(メンズサポートルーム大阪)の様々な実践や手法を専門的な観点で紹介する手堅い作りになっている。詳しくは別記事で語る予定だけれど、非モテ研はいわゆる「非モテ」についての団体というよりは標準的なメンズリブ団体としての側面が強いので、現代メンズリブの実践に関心のある読者にとって興味深い本になっていると思う。

本書で特に面白いのは、非モテ研における当事者研究の実態を披露している部分だろう。下のように、西井さん以外の非モテ研メンバーも参加する複数の紹介方法を採用することによって、ただ西井さんの文章だけで説明するのでは伝わって来ない臨場感ある当事者研究の実態に触れられる工夫がなされている。

  • 西井さんによる自身の当事者研究の実践の紹介
  • 西井さん以外の参加者による自身の当事者研究の実践の紹介
  • 西井さんを聞き手とした参加者との当事者研究的対話の紹介
  • 非モテ研と関連して制作した作品(短歌、彫刻)の紹介
  • 西井さんと参加者の間で発生したすれ違い的不和とそこから和解にいたるエピソードを二者の内面を交互に取り上げる形で紹介
  • 非モテ研メンバー9人による対談

メンズリブのコアな持ち味である参加型の活動・コミュニティとしてのアクティブな魅力はこれまでのメンズリブ関連書籍からは今ひとつ伝わって来なかった部分なので、こういった工夫が見られるのは嬉しい。また、個々の実践において、本書の中で紹介されている当事者研究等の専門的手法が実際に有効に働いたエピソードも挟まれていて、各種専門領域に関するマクロな知識がミクロな実践に確かに活かされていることも読者の視点で理解できるようになっている。

本書の末尾に「解説 語りだした男たちに乾杯」として立命館大学教授の村本邦子さんがフェミニズム的観点から非モテ研を評価する文章を載せているのも、フェミニズムと連携しつつ男性ジェンダーの問題を考えるメンズリブの立場を明確にし、全体の印象を引き締める効果がある。

ともすればどうでも良い内輪の馴れ合いを読まされるお寒い同人誌のようになってしまうリスクのあるテーマを、構成の工夫と専門的観点の適度な導入によって、気取り過ぎず、ゆる過ぎずの絶妙なバランスに仕上げて、現代メンズリブ実践の入門書として広くオススメできる内容になっていると感じた。

関連文献

男性の加害的側面の語りを「ダークサイド」として受容するなど、本書における西井さんの方法論はこれまでも繰り返し詳しく語られて来たものだ。

西井さんの方法論については『現代思想男性学特集の「痛みとダークサイドの狭間で ―「非モテ」から始まる男性運動」や、上掲の私とのメンズリブ対談記事からも知ることができる。

Meow Attack(ニャー攻撃)で稼働中WebアプリのAWS S3保存画像を全削除されてしまった…

突然S3の画像がすべて削除された

自作のRailsアプリの短歌投稿サイトUtakataをいつものように眺めていたら、一部のユーザーのアイコンが表示されていないことに気づいた。もしやと思ってブラウザのキャッシュをクリアしてみたら、すべてのユーザーのアイコン画像がリンク切れになっていた。

当初はライブラリの問題かと思ったけれど、念の為AWSにログインしてS3のバケットを見てみたら、なんと最近アップロードされた不審なindex.htmlを残してすべての画像ファイルが削除されていた。

明らかに第三者から悪意のある攻撃を受けている事態に頭が真っ白になりそうだったけれど、取り敢えずAWSアカウントのパスワードを変えてからindex.htmlのソースをチェックし、危険性がないことを確認してから開いてみた。

f:id:fuyu77:20200921204323p:plain

猫のキャラクター画像に謎の文字列が羅列され、meow(ニャー、猫の鳴き声)。

HTMLファイルのソースコードは上のようになっていた。Base64エンコードされた猫画像にランダム文字列を生成するJavaScriptのシンプルな構成。コメントで被攻撃者へのメッセージが書いてある(翻訳は筆者によるもの)。

You don't deserve to have files if you don't know how to secure them properly
https://aws.amazon.com/premiumsupport/knowledge-center/secure-s3-resources/

meow

ファイルを適切に保護する方法を知らないならファイルを持つ資格はない

ニャー

煽り文句にご丁寧にS3のドキュメントへのリンクが付けてある。

書き込み アクセスを Everyone グループに許可しないでください。この設定により、誰でもバケットにオブジェクトを追加できるようになります。この設定により、誰でもバケット内のオブジェクトを削除できるようになります。

S3の設定を確認してみたら該当ドキュメントにやるなと書いてあるこの設定をやってしまっている初歩的なミスだった。

Everyoneに書き込みを許可しているとシンプルなHTTPリクエストで画像のアップロード、削除ができるようだ。初心者の頃に良く分からずに全許可設定にしてその後S3の設定はまったく見ていなかったのが仇になった。

Photo credit: https://twitter.com/rsec17, https://note.com/rsec/n/n53882573675d. No Affiliation with them, I just thought it was cute.

私とこれらは無関係で、ただ可愛いと思っただけ。

これまたご丁寧に画像のソースの記載もある。コメントにも書いてあるように、イラスト作者と攻撃者は別人なのだろう。

Meow Attack

インターネット上の保護されていないデータベースのほぼすべてが削除され、「Meow(ニャー)」というネコの鳴き声だけが書き残される「Meow Attack(ニャー攻撃)」が報告されています。

私が受けたのはこのMeow Attackの一種だろう。どうやらいたずら以上の悪意はないようだ。

Utakataユーザーへのお知らせと反応

取り敢えずアイコン画像をリンク切れからデフォルトアイコンを表示するところまでは復旧して、Utaktaユーザーにお知らせした。S3のバージョニング機能も利用していなかったので削除された画像の復旧はできない。

攻撃を受けたとは言え私のかなりマヌケなミスなので本当に申し訳ないという感じだけれど、今回の画像削除事件を題材にしたようにも見える短歌がいくつかアップされていてユーザーの温かさを感じた。

シーライオニングの主体がアシカなのはマイノリティへの迫害ではという疑念についての原作者見解を読む

「シーライオニング」というのは以前からそれなりの頻度で目にする用語ではあったけれど、元ネタ漫画"The Terrible Sea Lion"の翻訳ツイートが拡散されたことで最近また大きく話題になった。

アシカの扱いの不可解さ

元ネタ漫画を読んで、なかなか痛快でユーモラスな風刺と感じつつも、アシカが理不尽な攻撃を受けているのでは?という印象が若干あるのが気になった。

これアレじゃないんでしょうか、noteのみなさんにどこまで伝わるのかあれなんですが、ツイッターでいうところのスルメロック先生的なあれというか、むしろそうした社会運動を嫌悪する人たちに寄った漫画に見えるんですが。

言うなれば、僕はこの漫画を読んだ時に、そこに「マジョリティ(人間かつ貴族)がマイノリティ(言葉を発するアシカ)に対し嫌悪感を表明し、しかもそのことに一切反省すらしない」という描写を受け取ったのです。

まず、そもそもなぜアシカがやってることがリベラルやラディカルにとっては擁護されるべきことなのか。それは、アシカのやっていることが、まさしくリベラルやラディカルが理想とする「非暴力直接行動」だからです。

この疑念により踏み込んで、漫画の内容は非リベラル的という観点で批判するのが上のCDBさんとあままこさんの記事だ。

しかしこれはこれで何か極端なこじつけのようなものを感じてしまう部分もある。確かに反権力の立場の人々はときにマジョリティにとって手痛く感じるような、敢えて悪い言い方をすると「面倒臭い」主張・運動を展開することがある。しかし、それはこの漫画のアシカのようなスタイルだろうかと言えば、そういう印象はまったくない。このアシカには切実性がなく、非当事者的で、より端的に言うとTwitterにいるような詭弁的話法を得意とするネット論客の姿そのままで、これを反権力側の「非暴力直接行動」になぞらえるのは解釈上あまりにも無理があるように思われるのだ。

しかしそうなるとますますこの漫画の解釈が分からなくなって来る。多重な読みを許容して深い作りになるということはあるけれど、そもそもこの漫画のタイトルが"The Terrible Sea Lion"であることを鑑みても今回はそれが不可解なノイズになっているようにしか思えないのだ。

作者の見解

そんな中、原作ページにあるリンクを追ってみたらこの漫画について、2014年の発表時点で似たような批判が起きていたことと、作者のDavid Malkiがその批判に対して明確にコメントしていることを知った。

Malkiは、漫画でのアシカの扱いが人種等の属性への偏見に類似するという批判があることを示唆した上で、次のように語る(翻訳は筆者によるもの)。

But often, in satire such as this, elements are employed to stand in for other, different objects or concepts. Using animals for this purpose has the effect of allowing the point (which usually is about behavior) to stand unencumbered by the connotations that might be suggested if a person is portrayed in that role — because all people are members of some social group or other, even if said group identity is not germane to the point being made.

しかししばしば、このような風刺では、要素はその他の異なる対象やコンセプトの代理として用いられる。このような目的で動物を使うことは、そのような役割で人間が描かれた場合に示唆され得る意味合いに妨げられることなく、(たいていは態度・振る舞いについての)話の要点を際立たせる効果を持つ ― 何故ならすべての人間は何らかの社会的集団のメンバーであり、たとえ集団的アイデンティティは今回の話の要点とは無縁だと言ったとしてもそれはそういうものだからだ。

Such is the case with this comic. The sea lion character is not meant to represent actual sea lions, or any actual animal. It is meant as a metaphorical stand-in for human beings that display certain behaviors. Since behaviors are the result of choice, I would assert that the woman’s objection to sea lions — which, if the metaphor is understood, is read as actually an objection to human beings who exhibit certain behaviors — is not analogous to a prejudice based on race, species, or other immutable characteristics.

それはこの漫画にもあてはまる。アシカのキャラクターは現実のアシカやその他の現実の動物を表すことを意図しない。それは特定の振る舞いをする人間の比喩的な代理を意図している。それ故一連の振る舞いは選択の結果であり、女性のアシカへの抗議は ― この比喩が実際には特定の振る舞いをする人間への抗議であると理解され、読まれるならば ― 人種や種族やその他の変更できない性質に基づく偏見と類似するようなものではないと私は主張したい。

つまり、発表当時もCDBさんやあままこさんのような読まれ方はしたけれど、Malkiとしてはあくまでも話の要点は人間の振る舞いへの風刺であり、アシカであることは人間の行為にフォーカスするための風刺漫画上の技法に過ぎないと言うのだ。

ネットの新概念「シーライオニング」の元ネタ漫画は本当にリベラルな文脈で描かれているのか?という疑念|CDBの七紙草子|note

このマンガ、アシカ的な行為(過剰な粘着)にフォーカスするために女性の発言を意味不明な暴論にまで抽象化してるのであって、女性の発言の意味を現実の言論に当てはめた解釈は別の建物でやる議論なんじゃないか。

2020/07/15 08:31

teebeeteeさんのブコメもMalkiが述べるのに近い解釈を書いている。

またこちらの記事では発表当時の反響が紹介されていて、当時からゲーマーゲート論争での女性への嫌がらせを「シーライオニング」と呼ぶ文脈があったことが分かる。

このツイートは「漫画の女性キャラを「シーライオン・レイシスト」と呼び糾弾に値すると言う人々がいる!ワロタ」というニュアンスだろうか。

まとめ

ここまで見て来て、Malkiの

  • 風刺対象はあくまでも人間の特定の振る舞い
  • アシカなのは風刺漫画の表現技法上の要請

という明確な意図が明らかになった。確かにこのキャラがアシカでなかったら…と想像すると、風刺漫画としての滑稽味においてアシカは最善に近い選択に見える。

とは言え作品の読解において作者の意図はすべてではないし、CDBさんやあままこさんのような批判が入る余地もあるとは思う。

個人的には初見でのモヤモヤとした解釈のノイズが、作者の意図しない偶発的なものであったことが確認できてスッキリした気持ちだ。

大日本印刷開発の任意のテキストを読みやすくする新技術「読書アシスト」のWeb APIを叩いてみる

独自の文章表示アルゴリズムによって、読んでいる最中の目線の動きをスムーズに誘導し、読むスピードを向上させる文字レイアウト変換技術です。日本語文における文節(意味のまとまり)ごとに目線を上手に動かせるように、文字配置や改行位置を調整することで、読むスピードが低下する要因となる、余分な目線の動きを減らします。DNPは2012年に、公立はこだて未来大学と共同研究を開始し、文章を読み進める際の人の視覚や認知のメカニズムを踏まえて「読書アシスト」を開発しました。

大日本印刷が任意の文字列を読みやすくレイアウトする新技術「読書アシスト」を公開した。任意の文字列を右斜め下に滑り込むようなレイアウトに調整して読みやすくする技術らしい。特設サイトに公開されているサンプルを読むと確かに読みやすい感じがして不思議な読書体験を楽しめる。

また、2020/7/10〜2020/9/30までの期間限定で、Chrome拡張機能とWeb APIを無償で公開して実証実験を行うということで、任意のテキストについてこの新技術を試すことができるようになっている。

*1

Chrome拡張機能は変換したい文字列を選択して右クリックから「読書アシスト」を選択するだけで変換されたレイアウトが表示されるので、お手軽に色々試せる。

実用上はChrome拡張機能で十分だけれど、Web APIもせっかくなので試してみたい。

$ curl -X POST https://reading-assist.com/api/assistapi.php -d "action=conv_htmltext&title=羅生門&htmlText=羅生門本文"

特設サイトにあるAPIの仕様を元に、上のようにcurlAPIを叩くと、変換されたHTMLがレスポンスとして返って来る。

$ curl -X POST https://reading-assist.com/api/assistapi.php -d "action=conv_htmltext&title=羅生門&htmlText=`cat 羅生門.txt`" > 羅生門.html

上のようにすると、ローカルに保存したテキストファイルの内容を変換してHTMLファイルとして出力できるようになる。

ただし、このままだと出力されたHTMLファイルを開いてもJSやCSSのファイルを読み込めずレイアウトが変換されない。

特設サイトのAPIの欄に特にJS、CSSについての記述はないので、Chrome拡張で変換されたサイトからJSとCSSを直接ダウンロードして、HTMLファイルの読み込みを相対パスに変えたら動くようになった。

任意のタイトルのテキストファイルについてJS、CSSのパスの変換まで行うShellスクリプトは上のように書けて

$ sh reading_assist.sh 羅生門

このように実行できる。

今後に期待

なかなかイノベーションを感じる技術なので、今後の展開に大いに期待したい。

*1:2020/10/04追記。リンク切れのため、はてブページに差し替えた。

『ブリガンダイン ルーナジア戦記』 ―SRPG戦闘に特化した超シンプルで硬派な国盗りSLG―

ブリガンダイン ルーナジア戦記  - Switch

ブリガンダイン ルーナジア戦記 - Switch

  • 発売日: 2020/06/25
  • メディア: Video Game

6月25日にSwitchで発売された『ブリガンダイン ルーナジア戦記』を1周クリアしたのでレビューを書きたい。

ターン制国盗りSLGとしてあり得ないほどシンプルなゲームシステム

このゲームは大陸内政マップとSRPG戦闘マップの2つの局面があるターン制国盗りSLGで、「ルーンの騎士」と呼ばれる武将が召喚したモンスターを部隊に組み込んで共に戦う点に特色がある。

まず驚いたのは、内政システムが極めてシンプルな点だ。領土の開発も外交もなく、部隊の訓練と武器やアイテムを探す探索があるだけだ。武器の重要性は低いので、実質的に訓練しか内政要素がないと言っても良い。更に言えば訓練するよりも侵攻してレベル上げした方が圧倒的に効率が良いので、このゲームは実質的に

  1. 部隊編成
  2. マップでの戦線管理(部隊の移動)
  3. SRPG戦闘

しか要素がないと言っても過言ではない。「諜報」のような要素もなく、各拠点の敵勢力の情報もすべて開示されている。

モンスターの種類やルーンの騎士のクラスの種類もかなり少なく、戦場1つにつき出せる部隊は双方3部隊までと、今どきのゲームにしては珍しくゲームシステムが徹底的にシンプルに作り込まれている。

そしてこの戦線管理とSRPG戦闘がなかなか楽しい。各国の初期状態やルーンの騎士撃退時に敵モンスターを高頻度で鹵獲できるシステムによって、部隊編成のランダム性が強く、また戦場ごとの平原、水辺や山地といった地形について各ユニットごとに有利不利の判定があり、各戦闘マップが地域の個性を反映する形で美麗に作り込まれているので、シンプルながら多様な戦闘を楽しめる。戦闘BGM、キャラボイスも良く出来ていて没入感がある。

戦闘バランスは移動後に魔法を打てない、MPは回復せず少なめ、一撃必殺するほどのダメージは基本出ない等デフレ系の調整になっている。デフレ系SRPGの定番として密集陣形で待ち伏せる戦法が圧倒的に強いのだけれど、ハードだと敵も密集してかなり賢く動いて来るのでなかなかジリジリした戦闘が楽しめる。各モンスターそれぞれに育てば強みがある調整になっているのも素晴らしい。

難易度は低め、主体的に縛りプレイを模索すべきか

このゲームはどうやら最高難易度のハードでもCPUチート的なものがないらしい。60ターンの縛りも私は14ターンでクリアできたので特に短いということもなく、戦闘では1ターン毎にセーブが可能な親切設計なので、ゲームの難易度はこの手のゲームに慣れた人にとっては低めと言える。

しかし戦闘AIは賢く、それ以外のチートはないフェアな難易度が公式で用意されているということは、あとはプレイヤーが主体的に縛りプレイを模索するべきではないだろうか。セーブ縛りや多方面に侵攻する早解きクリア、オート戦闘縛り、初期レベルの高いルーンの騎士を敢えて使わない等、縛り条件はいくらでも思いつく。オールドスタイルで硬派なゲーム故、プレイヤーも「与えられたもの」に満足するのではなく自らの想像力をフルに発揮して様々なロールプレイを楽しむべきだろう。

残念な点

総じてシンプルなゲームが大好きな私にとっては非常に楽しめる作品だったのだけれど、やや残念な点もあったので最後に軽く書いておきたい。

ぬるいシナリオ

せっかくの硬派なゲーム性なのに、シナリオがお花畑感があり、ぬるい印象を受けた。世界観やキャラ絵を活かしてもっとシリアスなシナリオにしても良かったのではないだろうか。5chスレを見ても、シナリオは総じて低評価だ。シナリオが面白くないと全勢力をクリアするモチベーションを維持するのがなかなか難しい。

敵主力を撃破した後の消化試合感

上述したように最高難易度でもCPUチートがなく、敗北時に敵モンスターの鹵獲も可能で、新規には1レベルのモンスターしか召喚できないので、1度のプレイヤーの勝利で敵戦力は壊滅的な打撃を受け脅威でなくなる。この点にやや難易度的な歯応えのなさを感じたけれど、上述したように縛りプレイでカバーできる範囲ではある。

勢力ごとの個性付けの薄さ

モンスターの種類がかなり少なく勢力ごとの固有モンスターもいない。またルーンの騎士のクラスも大部分共通なため、勢力ごとの個性付けがかなり薄い。勢力固有のモンスターやルーンの騎士の能力の個性付けがもっと強ければ全勢力をクリアするモチベーションがアップしたのではと感じた。