Webエンジニアというナイスな職種 ―業務未経験から1年が経って―

前職を辞めてRailsを独学し、業務未経験からWebエンジニアになって7月で1年になり、なかなか順調なので、Webエンジニアという職種(実際には私の個別の働き方に関する内容を含むけれど)の良いところを書いてみたい。

何をしているか

家事代行サービスを提供するベンチャー企業で、ユーザー向け予約マッチングシステムと、家事代行を実際に担うスタッフ向けのスケジュール管理システム、社員向け業務管理システムの開発を行っている(BtoCの事業会社のシステム開発部門)。

サーバーサイドはRails、フロントエンドはTypeScript/Backbone.js/jQuery/Reduxという謎構成のSPAで開発を行っている。分業はエンジニア/デザイナーという程度で、社員エンジニアには、インフラ含めてフルスタックな役割が求められている。

最近の業務の流れとしては、事業計画に沿って新機能の開発をビジネスサイドの関係者とチームを組んで進めている感じだ。ベンチャーらしく、事業の推進にあたってもエンジニア/ビジネスサイドの区別は曖昧で、エンジニア主導で機能の要件が決まることも多い。

Webエンジニアの良いところ

コードがたくさん書ける、ゴリゴリ開発できる

前職はIT企業にも関わらず業務でプログラミングする機会がまったくなかったけれど、現職では入社直後から毎日ゴリゴリコードを書く機会に恵まれている。

すべてのコードを書くのに長年の経験が必要なわけではない。良いコードを書く場合にだって必要ない。すべてのプログラムには、ありふれたやり方で入力と出力を結びつける「にかわのようなコード」が存在する。こういうのは誰が書いたって大差ない。時給 $28 の人に頼んでも時給 $59 の人に頼んでも結果は同じだ。もし熟練エンジニアしか雇わないのなら、そういった軽い仕事に余分なお金を払っているということになる。

上の記事でRailsの生みの親のDHHも言っているように、プログラミングの仕事というのは簡単なタスクから難しいタスクまで様々で、開発リソースと費用対効果の兼ね合いで手付かずで放置されているタスクも大量にあるので、業務未経験から入ってもすぐに取りかかれる開発タスクはいくらでもあるのだ。少しずつレベルを上げて、段々と難しいタスクが出来るようになって行くのは楽しい。

裁量権が大きい

個別の機能開発のコーディングは基本的に一人のエンジニアが担当して行い、ビジネスサイドと話し合って大枠の仕様を決定した後は、「あとはエンジニア判断でいい感じに作って」という感じなので、自分で決めて開発できる範囲が非常に大きい。また、このような実装方法における裁量に限らず、そもそもベンチャーは発言力があれば何でもできるようなところがあるので、「自分のアイディアで、より良いサービスを作る」ということにかなり主体的にコミットできている感覚がある。

健全な議論ができる

議論はあくまで前提を共有した人間同士が目的をもって行うものであり、前提も目的も共有しない他者との議論を活発化させても議論は無限に後退するだけである。

京太郎さんが上の記事で、ネットでは目的を共有しない者同士による、議論として成立していない議論が横行しているという分析を書いているけれど、逆にエンジニアの議論は目的を高度に共有しているので、極めて健全にわだかまりなく行えることが多い。技術的な観点でどのような方法が望ましいかについては、世界中のエンジニアに共有された前提が豊富に用意されているためだ。

自由度の高い働き方

これは会社にもよるだろうけれど、今は週3リモート、週2出社の働き方で、11時までに出社すればOKなフレックスタイム制なので、かなり伸び伸びと働けている。毎朝目覚まし時計をセットしないですむ生活は素晴らしい。エンジニアは成果さえ出していれば文句は言われないので、全般的に柔軟に働ける部分が大きい。

まとめ

前職では、仕事というものは「嫌々やらされるつらい営み」という感じだったけれど、Webエンジニアになってから、主体的に働く感覚がつかめて、労働者として本当のスタートを切れたと感じている。仮に今の会社での労働環境が悪くなっても転職が容易にできそうな点も安心感があって良い。

短歌投稿サイトUtakataがリリース後1周年になりました! ―現状の課題―

短歌投稿サイトUtakataをリリースして今日でちょうど1年が経った。

この1年で、ユーザー数416、短歌投稿数7720のサイト規模になり、なかなか順調に使っていただけている感じだけれど、その一方で以下の課題にも直面している。

スケールしない

Google Analyticsでアクセス数を見ていると、ある時期からほぼ横ばいになってしまった。実感としては、飽きてやめる人と新しく入ってくる人がほぼ同数という感じで、これ以上スケールする気配がない。

原因としては、機能があまりにもシンプルでコミュニケーション面が弱く、コミュニティとして機能しづらいというのがあると思う。

仕事が忙しくなって来て開発の時間が確保できない ―開発者としてのスキル向上を趣味の開発に還元できない問題―

上のコミュニケーション面が弱い問題を解決するために、「歌会」機能を開発する構想が去年からあるのだけれど、仕事が忙しくてなかなか着手できない状態にある。

エンジニアとしてのスキルはどんどん上がっているにも関わらず、そのスキルを趣味の開発に活かすリソースがないのがつらい。趣味の開発のコミット度に限定して言えば、素人の無職>業務経験一年の会社員という構図があるのだ。

マネタイズできない

また、HerokuとAWS S3、ドメイン維持の費用で毎月赤字を垂れ流している有様で、少しでもマネタイズできたらと思うのだけれど、Google AdSenseにもAmazonアソシエイトにも審査ではじかれてしまった。トップページにある短歌の文字数が少なく、スパムサイトと自動判定されているようだ。

仮にスケールしても、増大する費用をすべて自費で賄うのはなかなかにつらい。マネタイズについて、何か知見を持っている方がいたらぜひ教えていただきたい。

男性学/メンズリブ的な考え方のどこがしっくり来ないか

メンズリブをやっているのにメンズリブに共感できないという悩み

私は「うちゅうリブ」というメンズリブ的な問題意識を背景とした語り合いの場を主催して1年以上になるけれど、実を言うとこれまで男性学メンズリブの典型的な考え方に共感できたことがあまりない。そこで、この機会にどうして共感できないのかということを突き詰めて考えてみたい。この記事では、学術的な観点よりも生活における実践の観点を主な関心とする。

男性学メンズリブの考え方とは何か

この記事で言う「男性学メンズリブ」とは、現在の日本で「男性学メンズリブ」と言ったときに主に想定される、親フェミニズム/リベラル左派系の男性学メンズリブのことを指す。

男性学」とは何か、ということについて、上野千鶴子さんは、男性学は「フェミニズム以後の男性の自己省察であり、したがってフェミニズムの当の産物である」と明言し、「男性学とは、その女性学の視点を通過したあとに、女性の目に映る男性の自画像をつうじての、男性自身の自己省察の記録である」と定義している*1。この男性学の定義は、代表的な男性学者の伊藤公雄*2さんと多賀太*3さんによって肯定的に引用されている。

つまり、フェミニズムによる男性権力への批判を受けて、強者、抑圧者、加害者側とされた男性は、ではこれからどうすれば良いか考えようというのが男性学の問題意識の起点と言える。論者によって関心の違いはあるけれど、実践レベルに注目すると、

  • フェミニズムと連携して男女平等な社会を実現する必要がある
  • 女性を抑圧して来た男性権力構造は男性自身もまた抑圧するものである
    • フェミニズムと連携して男性権力を打破することは男性の利益にも適うものである
  • 男らしさの規範から脱した生き方を目指そう

概ねこれらの観点が男性学メンズリブの典型的なアプローチになると思う。

強すぎる親フェミイデオロギーの拘束

このように男性学においては、フェミニズムの批判を受けてマジョリティとしての男性がどう反省し、変容するかという立ち位置を主軸とする訳だけれど、では本来の意味でフェミニズムと対置されるような、男性差別の撤廃や男性の権利を訴えるような男性学メンズリブはないのかと言うと、あるにはあるけれど、それは「男性学メンズリブ」とは呼ばれず、「マスキュリニズム」や「メンズ・ライツ・アクティヴィズム(MRA)」と呼ばれ、日本のアカデミズムで主流派の親フェミ系男性学とは根深い対立関係にある。男性の権利主張派の論者の中には、女性蔑視的な発言やフェミニストへの中傷を積極的に行う者も多く、その点が男性学フェミニズム支持の立場と決定的に相容れないからだ。

上の記事は日本を代表するマスキュリニストである久米泰介さんが日本を代表する男性学者である田中俊之さんについて書いたものだけれど、「フェミニズムの犬」などと見るに耐えない罵詈雑言が書き連ねてあり、界隈の対立の深刻さを感じさせる。

その一方で、田中俊之さんなどの親フェミ系男性学者もまた必ずしもフェミニストに快く思われている訳でもなく、男性学の中に見られる男性権力擁護的な要素は常にフェミニストからの厳しい批判に晒されている*4

ここまで長い前置きをおいて何が言いたいかというと、要するに現状の男性学イデオロギー上の制約がちょっと強すぎるのでは、ということだ。

ここで誤解のないように明言しておくと、私自身もまたフェミニズム支持、リベラル左派の立場だ。その一方で、第2波フェミニズムの家父長制理論における支配的な男性像をベースに男性当事者の問題を考えて行くことがそもそも暴力的なのではという懸念がある。フェミニズムのことはフェミニズムに直接学び、男性学フェミニズムとはもう少し独立した距離感で当事者にフラットに寄り添えないものだろうか、そんなことを私はいつも考えている。

男性学が理想とする価値観に感じる押し付けがましさ

上に述べたことと関連する話だけれど、どうにも男性学の理想とする人間観に根本的な合わなさを感じる部分もある。

ぼくは、近代社会の男性性を「優越指向、所有指向、権力指向」の三点から分析することを提案してきた。つまり、他者との競争に勝利したい、他者より優越したいという優越指向、他者より多くを所有しそれを管理し見せびらかしたいという所有指向、さらに他者に自分の意思を押し付けたいという権力指向である。

近代的な男女の二項図式のなかで、男たちは自分の男性性(「俺は女ではない」「「男」の枠外にいるものは男ではない゠ホモフォビアの構図」)という構図に縛られて、優越と所有と権力のゲームに追い立てられる。しかし、このゲームで勝者になることはきわめて困難だ。男たちは、自己の男性性を確証しようとするためのゲームのなかで、完全に達成することができない男性性という不全感と不安定感を背負いこむことになる。

伊藤公雄男性学・男性性研究=Men & Masculinities Studies ―個人的経験を通じて」

この伊藤公雄さんの文章はかなり典型的に男性学っぽい主張なのだけれど、まず個人的な価値観として、「優越指向、所有指向、権力指向」こういったものは男性学が指摘するように、自身や他者を抑圧する原因となる一方で、人生を生き生きと魅力的にさせるものでもあると思う。自己顕示欲、競争心、向上心、力への意志、承認欲求、嫉妬…そういったものなしに送る達観した人生は私にはつまらなく感じられる。

当然そういった意識への執着が、男性ジェンダーの典型的な問題とされる過労や自殺、他者への抑圧的な態度につながるようでは良くない。しかし男性学の議論を見ていると、価値観のセットの良し悪しの問題と、それが実際にどう自身や他者に不利益を発生させているかの問題が切り分けられておらず、特定の価値観による生き方を一方的に推奨されているような押し付けがましさを感じるのだ。

こう言うと何かマッチョな価値観を良しとしているように聞こえるかも知れないけれど、私もホモソーシャルや、権威主義保守主義的な環境における個人の自由への抑圧を激しく嫌悪する人間だ。しかしそこに反対する男性学にも価値観の偏りが見られないかということにも注目したい。実社会で生きて行く中では、生活の様々な局面に合わせて、時には矛盾するような価値観を採用して、自身にとっての生きやすさを最適化するということもあると思う。様々な価値観をどのようにカスタマイズして人生を豊かにするかは、他人ではなく他ならぬ自分が決めるものだという感覚がある。

また、メンズリブの実践の観点で言うと、ジェンダーによる思い込みへの気づきのような、心の持ち方の如何で解決されるような問題はそもそも限定的という側面もある。男性学が指摘する「男らしさの呪縛」による弊害を個別に見て行くと、ジェンダーよりも個別の労働環境や発達障害など、より根本的な問題が見えてくるケースも多い。

メンズリブの実践が差し当たって内面の問題に着目するのであれば、もっと自然体で、自分らしい生き方を自分で選択できるようなありかたを目指しても良いのでは、というのが今私の考えているところだ。

*1:上野千鶴子「「オヤジ」になりたくないキミのためのメンズ・リブのすすめ」(『日本のフェミニズム 別冊 男性学』所収)

*2:伊藤公雄男性学・男性性研究の過去・現在・未来」(『新編 日本のフェミニズム12 男性学』所収)

*3:多賀太「日本における男性学の成立と展開」(『現代思想2019年2月号 特集=「男性学」の現在』所収)

*4:澁谷知美「「フェミニスト男性研究」の視点と構想」、平山亮『介護する息子たち』の批判が代表的。要約すると、男性学は「男性も生きづらい」と主張するが、それは決して真のマイノリティとしての女性の生きづらさと並列して良いものではなく、むしろ男性の生きづらさは男性の特権と表裏一体のものとしてあり、そういった男性権力の構造を解明、解体することにこそ男性学は注力すべきという趣旨の批判。

自作オセロの思い出

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3年前にJavaScriptで作ったオセロを今になってGitHub Pagesで公開してみた。

プログラミングを勉強し始めたばかりの頃に作ったもので、Canvasで駒と盤面を描画して、そこそこ強い対戦AIまで付いていてなかなか凝っている。コードは汚過ぎて自分でも読めないけれど。

これを作ったのは、前職の勤怠システム開発会社に入社したばかりの頃。プログラミングの仕事がしたかったけれど、結局前職では最後まで業務でプログラミングすることはなかった。

それが今ではWebエンジニアとして毎日コード書き放題の生活を送っているのだから、あの頃の熱意が報われたようで、何だか感慨深いものがある。

AWS S3のJPEG画像のExif情報を一括で削除して更新する

Google PageSpeed Insights*1で、自作のRailsWebサービスの短歌投稿サイトUtakataを調べていたら、「適切なサイズの画像」という項目に引っかかった。詳細を見てみると、アイコンに使われているJPEG画像のサイズが、数KB〜数100KBまで妙に差があることが原因のようだ。

Exifとは、デジタルカメラで撮影した画像データに、撮影条件に関する情報(メタデータ)を追加して保存できる、画像ファイル形式の規格のことである。

同じ大きさの画像なのにファイルサイズが大きく異なるのは、Exifというメタ情報がJPEG画像に保存されていることによるらしい。

試しに上のWebツールでExif情報を除去してみたら、確かにファイルサイズが減った。

Rails + PaperclipでアップされるJPEG画像のExif情報を除去する

UtakataはRails向け画像アップロードライブラリのPaperclipを利用しているので、まずは今後アップされる画像についてはExif情報を除去して保存されるように設定する。

これは上のように、convert_options: { all: '-strip' }を追加するだけでOKだった。

S3のJPEG画像のExif情報を削除して更新する

これで新規にアップされる画像についてはExif情報が除去されるけれど、既にS3にアップされているJPEG画像のExif情報を除去する必要がある。

S3の画像を一括でダウンロードする

S3はWebの画面上の操作で画像を一括でダウンロードできないけれど、AWS CLIコマンドラインインターフェース)を使えば一括でダウンロード/アップロードできることが分かった。

$ brew install awscli

AWS CLIを使うのは初めてだったので、まずはインストールする。

$ aws configure

を実行すると、AWSアクセスキー、シークレットアクセスキー、リージョン情報、Default output format*2の4項目が聞かれるで、それぞれ入力する。

そこまで出来たら、

$ aws s3 cp s3://utakata/ ./utakata --recursive

このコマンドでS3にアップされている内容をそのまま全部ダウンロードする。

Exif情報を一括で除去する

$ find ./utakata/ | grep ".jpe\?g$" | xargs -t -n 10 -P 4 mogrify -strip

その後、上の参考サイトにあるこのコマンドを実行したら、ガガっと一瞬でExif情報が一括で除去された*3

S3に画像を一括でアップロードする

最後に、

$ aws s3 cp ./utakata s3://utakata/  --recursive

このコマンドで一括アップロードしたら、Exif情報が除去された状態ですべての画像が更新されて目的を達成することができた。

f:id:fuyu77:20190316194728p:plain

PageSpeed Insightsのスコアも94点まで出るようになって良い感じだ。

*1:任意のWebページの表示速度をチェックして改善のアドバイスを貰えるWebサービス

*2:デフォルトのjsonの他にtextとtableがあるらしい。取り敢えず何も打たずにエンターで良さそう。

*3:このコマンドを実行するにはImageMagickがインストールされている必要がある。

VSCodeのRuboCop拡張を入れたら捗った

RailsアプリのコーディングスタイルのチェックにRuboCopを使う際に、毎回コンソールから起動するのを面倒に感じていたけれど、会社のエンジニアに教えて貰って、VSCodeのRuboCop拡張があることに気づいた。拡張機能をインストールすると、ファイルを保存する度にRuboCopの警告が表示されて捗る。

ローカルにRuboCopがない場合は、

$ gem install rubocop

を実行する必要がある。

Gillette「ベストな男性」CMを読み解く ―男性性のポジティブな再解釈と逃れ得ない「強さ」への期待―

*1

アメリカの剃刀メーカーGilletteの"We Believe: The Best Men Can Be"というCMが話題になっている。私も視聴してみて興味深く感じたため、その内容と論点を整理したい。

CMの内容 ―Gillette自己批判と新たな男性性の提示―

「有害な男性性」への批判に、呆然とする男たち

冒頭に、世間からの男性性への批判に呆然とする男たちが映る。"Toxic Masculinity(有害な男性性)"という言葉が使われている点に注目すべきだろう。

Gillette自己批判 ―The Best a Man Can Get―

The Best a Man Can Get

その直後に、Gilletteの過去のCMが流れる。"The Best a Man Can Get"というのはGilletteの昔からのキャッチコピーらしい。

「The Best a Man Can Get〜♪」と陽気な歌声が流れ、CM本編の、女性にキスされる男性の映像(旧態的な「ベストな男性」のイメージ)がチラッと映った後に、「バリッ!」とその映像が突き破れられて「古い男性性から離脱する少年たち」が出現する(この「疾走する少年たち」はその後も出て来る)。

「ベストな男性*2」をCMのイメージとして扱って来たGilletteが、自己批判として「これからの男性のありかた」を提唱するのがこのCMの目的だと分かる。

旧態的な男性性の象徴として挙げられるもの

その後に、長く続いて来た「有害な男性性」の発露の具体例として、以下のものが挙げられる。

  • LINEのようなテキストメッセージでいじめられる男の子*3
  • 女性差別的なテレビ番組
  • 女性の社会的活躍を阻害する男性経営者
  • つかみ合いの喧嘩をする男の子

そして最後の喧嘩する男の子のシーンで、"Boys will be boys(男の子はいつになっても男の子、男の子だからしゃーない)"と、腕組みをして低い声で呟き、喧嘩を冷やかに静観する「圧倒的多数の父親たち」がズラッと並ぶ。

セクハラ告発によって「ベストな男性」の意味は変わった

一方で、近年強まる#MeTooなどのセクハラ・性暴力告発によって、そういった男性性をナイーブに良いものとする価値観は大きな転換を迫られており、

And there will be no going back. Because we, we believe in the best in men.
もはや時代が元に戻ることはないだろう。何故なら私たちは、「男としてのベスト」を信じるからだ。

Gilletteは、そういった時代の変化に対して、「男としてのベスト」を追求することで適応することができると言う。

Men need to hold other men accountable

ここで、俳優のTerry Crewsの"Men need to hold other men accountable(男性は他の男性に責任を持たせるべき)"という言葉が場面転換のきっかけとして用いられる。

上の動画を見るに、男性は、セクハラをしている他の男性を見かけたら、その行為を制止すべきというニュアンスが込められているようだ。

この発言に呼応するように、GilletteのCMでも、

  • 水着女性を一方的に撮影するテレビ番組撮影クルーを制止する男性
  • ナンパを制止する男性*4
  • (再び登場する疾走する少年たち)
  • 喧嘩を仲裁する男性*5
  • 娘に自己肯定感を教える父親*6
  • 子供の喧嘩を制止する父親
  • 息子の見ている前で、集団で苛められている男の子を救済する父親

これらの男性が描かれ、それは、

To say the right thing. To act the right way.
正しいことを言い、正しく振る舞う。

ことだと言う。そして、そのような大人の男性のありかたを見て育った"boys"が未来の"men"になると語られ、"THE BEST A MAN CAN GET"と、冒頭に旧態的男性性の象徴として出て来たGilletteのキャッチコピーが、その意味を変えて再び提示されて、CMの幕が引かれる。

Gilletteは、過去のプロモーションに対する自己批判を、新たな男性性の提示へと鮮やかに転換してみせたという訳だ。

CMの論点

男性性を否定するのではなく、ボジティブに再解釈するというアプローチ

ここからは、このCMが提起している論点についての私見を述べる。

まず、旧態的男性性からの離脱を考える場合に、「有害な男性性」を批判するだけではなく、男性性をポジティブに再解釈するというアプローチを取っている点に注目したい。ただ男性性を暴力的なものとして否定するだけだと、男性にとって抑圧的な印象が否めないけれど、このGilletteのCMは「男としのてのベスト」を追求することが、性差別の撤廃や非暴力の実践につながるというビジョンを示している。

マッチョな規範の押し付けを感じる部分も

その一方で、"To say the right thing. To act the right way."の部分に表れているように、何だか規範的な印象も強いCMだ。

特に、"Men need to hold other men accountable"というCrewsの言葉には疑問がある。CMでは美しく描かれているけれど、暴力的な加害者を制止するのは実際には容易なことではないし、男性だって怖いものは怖い。身近な被害について、見て見ぬ振りをせずに可能な範囲で救いの手を差し伸べる、そういった公共心の重要性については同意したい。しかし「同じ男性として、他の男性の加害行為を」というのは根拠のない性役割の押し付けではないだろうか。

このCMは、古い男性性を否定しつつも、「男たるもの、強く、正しく、弱者に優しくあれ」というマッチョな規範を依然として保持している点で、CMに表れている男性のありかたが魅力的で好ましいという点についてはほぼ異論がないとしても、視聴者の男性が自分事として「乗れる」かどうかには個人差が出て来ると思った*7

また、男女二元論的な価値観が自明視されている点も、CMという性質上やむを得ない部分があるとは言え、違和感がある。上で懸念点を示した「同じ男性として、他の男性の加害行為を抑止すべき」という発想についても、「同じ男性として」の部分に、「そこをそんなに自明に言ってしまって良いのだろうか」という引っかかりを感じる部分があるのだ。

男性主体の運動になっていない

このCMのYouTubeの評価を見ると、低評価が高評価の2倍近くになっている*8ことにも注目したい。多くの視聴者の反発を呼んでいるということだ。

また、Twitterで「ジレット」で検索すると、そういった男性の反発を嘆くフェミニストの声が多くヒットする*9

上の渡辺さんの記事に代表されるように、このCMを評価する声の大部分は、「有害な男性性」を無害化したい「非当事者の声」に占められているように見える。

Gilletteの#TheBestMenCanBeは、十分に当事者的な運動になっていないというのが率直な印象だ。少し想像力を働かせてみれば、このCMは肯定的なメッセージを含みつつも、押し付けがましい点も多く、素直に支持できない男性もそれなりにいるであろうことは納得できるはずだけれど、そういった部分の指摘がすぐにアンチフェミ的であったり、「有害な男性性」の発露だと糾弾されかねないような空気感があることは残念に思う。

私がメンズリブを通してやりたいこと

私見をまとめると、映像作品としてのクオリティは素晴らしく、社会批評としての見所もたくさんあったけれど、CMが打ち出している「望ましい男性のありかた」については十分に共感できなかった。共感できなかったのは、「否定すべき男性性」と「望ましい男性性」があらかじめ「非当事者的に」揺るぎなく決まっていて、それをトップダウンで押し付けられているような印象が感じられたからだと思う。

私は昨年からうちゅうリブというメンズリブの団体*10をやっているけれど、この活動では、「有害な男性性」や「望ましい男性性」をあらかじめ設定しない、当事者性を重視した緩い連帯を模索してゆきたいと考えている。

GilletteのCMに表現されているように、社会的に「加害者」として告発される体験を通じて、男性ジェンダーには困惑が生じている*11。この困惑に向き合い、自分なりの落とし所を見つける中で、ジェンダーの問題に当事者的に向き合う必要性を感じている男性も増えて来ているだろう。そういった模索の中で、各自が辿り着く答えは、GilletteのCMに表れているような画一的なものにはならないということは確かだと思う。

追記*12

この記事では私の見解を示したけれど、記事の論旨に否定的なものも含めて、補足情報を追記したい。

TLで実施したアンケート

TLでアンケートを実施したところ、YouTubeの評価とは異なり、肯定的な評価が大幅に優勢となった。

Gilletteの見解

ジレットのチームは全米の男性たちから意見を聴くなど独自の調査を重ね、専門家の助言を受けながらコマーシャルを制作したという。

この記事では「男性主体の運動になっていない」と批判したけれど、Gilletteの制作チームの視点では、当事者の声を十分に収集して作られたもののようだ。

P&GグループとしてのGillette

Gilletteポリティカル・コレクトネスを意識したCMを打ち出した背景に、P&Gグループの存在を挙げる声が複数寄せられた。

http://b.hatena.ne.jp/entry/4663425809213202081/comment/shibaone


CMのマッチョイズムを指摘する声

この記事と同様に、CMのマッチョイズムを指摘する記事をいくつか見つけた。

世間の言う「男らしさの否定」は、今回のCMのように、暴力とかセクハラに代表される男性性がもたらす負の側面にNoを突きつけるものがほとんどである。
それはそれで大事なものであるが、一方で男性性がもたらす正の側面(男は女を守るべきであるという規範、たくさん稼ぐ男は立派であるという価値観)は滅多に問題とされない。

誰もが薄々気づいているとは思うが、男性性のもたらす負の側面と正の側面は簡単に切り離せるものではない。
「男は女を守るべき」という規範がある限り、力の強い男が優れている存在とされ、強権的に振る舞うことができてしまう。

では、「男らしさ」から脱却するために必要な態度とはどのようなものだろうか。

それは「弱い男」「ダサい男」「頼りない男」を否定しないことだと愚考する。
刃物に怯え逃げる「弱い男」、おごってくれない「ダサい男」、声の小さい「頼りない男」を決して見下さず、彼らを対等な人間として扱うことがスタートラインなのである。

ジレットのCMの件で思ったけど。
正直、ジレットのCMは新たな男性性の押しつけに過ぎないしあんまり俺も共感できなかった。
あたらしいマチズモを作り出そうとしてるだけだと思うし。

Twitterでも同様の意見を複数いただいている。


議論を強く喚起するCMになっていることは間違いない

上に揚げたCNNの記事には、

ジレット・ブランドの北米責任者は「議論が起きることは予想していた。話し合う機会がなければ真の変化は起きない」「私たちにとって最大の敵は、行動を起こさないこと」と話す。

このようにあるが、このCMが議論を強く喚起する作品になっていることは間違いない。ジェンダー対等な社会を構想していく中で、男性がこういった問題を自分の言葉で考えていけるようになるのは重要なことだと思う。

*1:2019/02/09追記。NHKが記事を削除したので、はてブページに変更。NHKの記事を削除する運用については何のための公共放送なのかといつも疑問に思う。

*2:直訳的には「男としてのベスト」。

*3:"Sissy"(女々しい)などの言葉が、男性規範と関連していると思われる。

*4:この人の"Bro, not cool. Not cool."の発音のノリが好きで何回か見返してしまった。

*5:CM内のフィクションではなく、路上で撮影された動画が用いられている。

*6:CM内のフィクションではなく、一般家庭で撮影された動画が用いられている。

*7:これは上に述べた「男性性のポジティブな再解釈」というこのCMの強みの裏返しとして起きている効果なので、なかなか悩ましい問題ではある。

*8:2019/01/20現在。

*9:2019/01/20現在。

*10:精確に言うと、男性ジェンダーへの関心を中心とした語り合いの場で、男性でなくても誰でも参加できる。

*11:GilletteのCMにも戸惑う男性の表情のアップが印象的に表現されていた。

*12:2019/01/21追記。