『すべてはモテるためである』に見る「考える恋愛」と「男性の中の女性の発見と育成」
- 作者:二村 ヒトシ
- 発売日: 2012/12/02
- メディア: 文庫
『すべてはモテるためである』は、モテる男性は恋愛について考えていて、モテない男性は考えていないという画期的な視点を導入した。モテる男性とは「イケメンのDQN」などではなく、(少なくとも恋愛については)「考えられる人」だったと。この辺りについてはチェコ好きさんの書評で掘り下げられている。
まずは、「「私」は異性に何を求めているのか」ということをはっきりさせようということだと思う。しかし、それだけでは解決しない問題もある。
例えば、非モテ時代の私が異性に求めていたことを今になって考え直してみると、「自分が好きになった女性と両想いになりたいけれど、積極的なアプローチはどうしたら良いか分からないので、こちらの想いを察して好きになって欲しい」みたいなもので、こういう欲望がすっきりと整理されても、現実には絶対に実現されない。
現実の異性とコミュニケーションする為には、「私」の中の欲求について考えるだけではなくて、「異性(特に恋愛対象である「あなた」)の欲求について考える」ということが必要になってくる。しかし、「私」が確実に考えられるのは「私」の中の欲求だけで、「あなた」の欲求について確かなことを考えられるはずがない。何だ、二村の本は使えないじゃないか。と、思いきや、その部分についてもちゃんとした解決法が用意されているのがこの本のすごいところなのだ。
その解決法を私の言葉で述べると、「男性の中の女性(二村さんの言葉では「モモレンジャー」)を発見して、その女性を育てよう」ということ。
二村さんは「あなたの中にも、女の子は、います」と言い、それは男性の頭の中(妄想)で出来上っがった理想の恋愛対象だという。
妄想上の恋愛対象っていう説には若干首をひねるところがあるのだけれど、私の中にも「女性」は確かに居て、去年の五月に初めて恋人が出来てから、今までその「女性」を育ててきたので、その具体的な方法について書いてみたい。
「男性の中の女性」の育て方
1. 一般的な男女の違いを知る
過去の私は「男女に違いがある」ということを何となく経験的に知りつつも、そのことを受け容れられなかった。いつか、同性の友人と同じように気軽に話せる女性が現れるのではないかと信じていたのだ。しかし、そのような女性は一人も現れなかった。まずは、一般論として、男性と女性の物の捉え方は大きく異なる、という事実を認めない事には、一歩も先に進めないように思う。
私が理解するところの「一般的な男女の物の捉え方の違い」は、
- 男性:理論的言語的に物事を把握する
- 女性:共感的感情的に物事を把握する
というもので、もちろんこれはステレオタイプな理解で、男性女性の個人個人がこうだというものでは決してないのだけれど、大枠としては外していないと思う。この辺りの一般的な男女の違いについては『ベスト・パートナーになるために』に一番良くまとまっていると思う。
ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた (知的生きかた文庫)
- 作者:ジョン グレイ
- 発売日: 2001/05/01
- メディア: ペーパーバック
2. 女性の書いた文章を大量に、かつ共感的に読む
私は女性に対して(今でも)消極的なので、同世代の女性に親しい友人はいない。なので、ファーレンハイトさんが書いているような、「女友達と話して女心を知る」というようなことは無理。
そこで、女性の書いた文章をたくさん読む、ということを徹底的に行った。私がこの一年弱に知った一番大きなことの一つに「女性は極めて多様である」ということがあって、とにかく個人差が凄まじいので、色々な女性が書いた文章をたくさん読む、ということが重要になる。
どういう文章を読んだ方が良いとかは特になくて、恋愛エッセイでも、小説でも、Twitterでも、読みたいものを読めば良いと思う。
ただ重要なのが、「共感的に読む」ということ。いかにも男性的に、女性の書いた文章を「語義通り」に読むと、とんでもない誤読をすることになる。最近の例で言うと、鶉まどかさんが「岡田斗司夫80股騒動」について書いた記事の、
責任の所在はどこにあるのか、と言えば、全てにある。女を自分のお遊びとしてしか考えていないオッさんたちにも、それについていってしまう女の子たちにも、そして彼女たちを救えない若い男性たちにも。
この記述の、岡田斗司夫に騙されるような「彼女たちを救えない若い男性たちにも」「責任の所在」があるという内容に、非モテ男性がブチギレて大量の批判コメントを残した、という事象がある。彼らは、「彼女たち」、「救えない」、「若い男性たち」、「責任」という言葉を、自分の中にあるイメージの通りに捉えてキレているのであって、鶉さんがどう捉えているか、ということについての共感的意識が欠如しているのである。もちろん鶉さんが本当は何を考えているか、ということは決して分からないが、私は出来る限り共感的な読解を試みて、増田の記事にしてみた。
女性の文章を読むにあたって、筆者が何を考えて、どう感じているか、ということを想像しながら読むのが大切で、そうやってたくさんの文章を読んでゆくと「男性の中の女性」はどんどん確かな存在として成長してきて、この男の人はモテなさそう/モテそうだな、とか、セクシーに感じる男性の挙動とか、或は男性の暴力性への恐怖感だとか、その他諸々の女性的な感覚が、「「私」の中の実感」として分かってくるようになる。つまり、「私」のこととして「女性」のことを考えられるようになる。
3. 恋愛対象である「あなた」の姿に「「私」の中の女性」を近づける
最後に、育ってきた「「私」の中の女性」を恋愛対象本人である「あなた」に近づける、ということをする。生身の女性であれば、文章とは違って、話す内容に加えて、表情とか身振りとか声色とか、多様な情報が加わる。「あなた」に集中して、「あなた」の考えていることや感じていることを共感的に分かるようにコミュニケーションを重ねてゆくと、「「私」の中の女性」は「あなた」の姿に近づいてゆく。そうすると「あなた」がされて嫌なことや、嬉しいことが、「私」のこととして分かるようになり、親密なパートナーシップを築いてゆくことができる。