岡村記事振り返り ―誤解釈があった部分の整理と次回放送を聴いて―

前回の記事、はてブが沢山ついてフィードバックを多く貰ったけれど、今になって思うと一部誤解釈もあったので次回放送内容も踏まえつつ振り返ってみたい。

主要な解釈の間違い

まず全体的な趣旨の解釈として、矢部さんは殺伐とした炎上騒動をコンテンツ/ショー化された「公開説教」に昇華することで、岡村さんを守ることに多くの面で成功した、というものを採用したい。

まずこう書いたけれど、

公開後に確認した記事の「テレビ局関係者」の発言を見るに、矢部さんはかなり素に近い形で日頃から溜まっていた岡村さんへの不満を述べた部分が大きいようだ。私がナインティナインに詳しくなかったことや、「芸能人」に対する先入観があったことが誤解釈につながってしまった。

タイトルの「人の変わらない部分を変える必要はない」について

ブログにはタイトルに突っ込みどころがないと読まれない、タイトルに突っ込みどころがあるとタイトルだけ読まれてディスられるというジレンマがあるけれど、今回の記事も「いや、変わる必要はあるだろ」的なコメントが非常に多かった。

人の変わらない部分を変える必要はない ―ナインティナイン岡村隆史謝罪放送を聴いて― - あなたとあなたの話がしたい

この緩さは大事だと思う。緩さがあるから人は変わっていけもするので。岡村さんの反応の薄さは自分を守るためでもあるように思う。弱者コスプレの言葉があったけど若林とかそこ自認して成長できてる気がする。

2020/05/03 08:15

実のところこの方のコメントが私の感覚に近い。変わること自体が悪いという訳ではなくて、矢部さんの説教は別としてネット炎上のような極端な形で内面改革を強制しようというのはやはり違うだろうと。何か世間の論調として、変化は自発的意思を基礎とすべきという前提が無視されているような方向性を感じたので、その部分に異論を呈しただけで変化そのものを否定したかった訳ではない。

再び矢部さんとコラボした次回放送を聴いて

この回では前回と比べて大分岡村さんがリラックスしていて、冒頭の再謝罪の言葉でも、前回と比べるとかなり状況の整理が進んだ言い回しで、変わる必要についての決意を述べている。

少なくとも公のラジオで喋るプロとしての変化の意思については確かなものがあると見て間違いなさそうだ。

今回は岡村さんが普通に喋っているお蔭で通常のラジオのトークとして面白く聴ける。コンビの2人きりで話す機会も最近はほぼないとか、なかなか複雑な関係性だな、などと如何にもニワカ的な思いを馳せながら聴いていた。