人の変わらない部分を変える必要はない ―ナインティナイン岡村隆史謝罪放送を聴いて―

ナインティナイン岡村さんがセックスワークと貧困に関する不適切発言を謝罪して、矢部さんが「公開説教」した回をradikoのタイムフリーで聴いた感想を書きたい。

矢部さんによる炎上緩和策としての「公開説教」

岡村さんが冒頭から沈痛な様子で謝罪の言葉を述べる中、突如矢部さんが乱入して今日は公開説教しに来たと宣言し、その後はほとんど矢部さん一人の語りが展開される流れだった。

この放送の内容については既にTwitter等で議論されているように様々な切り口で語ることができると思うけれど、私はまず全体的な趣旨の解釈として、矢部さんは殺伐とした炎上騒動をコンテンツ/ショー化された「公開説教」に昇華することで、岡村さんを守ることに多くの面で成功した、というものを採用したい。

そもそも岡村発言の何が悪かったのか

そもそもの前提として、岡村発言の何が悪かったかというのはそこまで簡単な問題ではない。思慮に欠けた不適切な発言というのは誰が見てもそうだけれど、リベラルの原理原則に立つならば、不謹慎だとか、不快だとかいうのはそれだけでは重大な問題ではなく、マイノリティの自由を抑圧する差別性が認められるかどうかが重要だろう。

一次ソースに当たることすらしていない藤田さんの雑な批判記事が起点というのも事態を厄介にしている。私も批判派の見解を読んで勉強はしているけれど、自分の中で岡村発言にどの程度重大な差別性があったのか、という点について納得のある理解に未だ達せられていない。

また、そもそもネット炎上は必ずしも「差別」に関する上に書いたような理解によって起きている訳ではないので、岡村発言の何が非難されているのか、というのは実のところ複雑で難しい問題だ。

そういった背景もあり、岡村さん本人は自分の発言の何が問題だったかということをほとんど理解できておらず、ただ世間の一部が激しく怒っている、反省している様子を見せねば、という曖昧模糊としたリスク回避意識によって、どこか腹落ちしていない様子だけれど、口調のトーンだけは沈痛な感じで謝罪の言葉を並べているという印象だった。

岡村さんを喋らせず逆に自分は無防備に喋る矢部さんの立ち回り

この状態は非常に危うい。ネットの炎上案件において、批判者は謝罪のタイミングで謝罪者の発言の粗を注意深く探し追撃の材料とする。何が悪かったか理解していない謝罪者は失言を重ねてしまう可能性が高い。

かと言ってラジオの枠をすべて空虚な謝罪の言葉で埋めるという訳にも行かないだろう。そこに矢部さんが現れて、ほとんど矢部さん一人が喋る「公開説教」を展開した。しかもガチガチに守りに入っている岡村さんとは対照的に、矢部さんは逆に随分と無防備に発言しているように感じられた。岡村さんだけではなく自身の発言も批判されるリスクについては気にしていないどころか敢えてそのリスクを取りに行っているかのように。

その結果として、放送後は矢部さんの発言は非モテ差別だとかそうじゃないとか、当初の岡村さんへの批判と無関係な部分にネット民の関心を拡散させることに成功している。

「関係性」や「人格」へのフォーカス

放送を通して、岡村さんの女性差別的側面については触れられているけれど、コロナによる不況とセックスワークについての該当発言の何が問題か(あるいは問題でないか)という部分についてはほとんど言及されていない。

その一方で、矢部さんから見た岡村さんとの関係性を、高校のサッカー部での出会いから芸能界での成功、岡村さんの鬱病での離脱、復帰後、と順を追って丁寧に掘り下げつつ、問題の本質は件の発言内容がどうとかということではなく、岡村さんの「根元(人格)」の幼さ、甘えにある、という物語付けを行っている。また岡村さんが不適切な言動を行う際の無意識性、意図しなさについても「天然」という言葉を何度も繰り返して強調している。

このことによって、言葉の言い回し上の不適切性にフォーカスするネット炎上の関心に、岡村さんのバックグラウンドへの想像、共感の文脈を付与することに成功している。

矢部さんが解決策として提案した「結婚」について

矢部さんは自身が結婚、子育てを経験したことによって、女性をリスペクトする気持ちが高まったと語り、岡村さんの「根元」の歪み、女性への忌避意識を変えるために、結婚してみてはどうかと提案する。

ネットでは話が一人歩きしている部分もあるけれど、矢部さんは岡村さんを「非モテ」だとは言っていない。現在進行形で恋人がいる可能性まで言及しつつ、結婚のように責任をもって深く女性と付き合った経験がないことが問題だと言っている。

これは既に方々で激しく議論されているように非常に問題含みの発言だ。

まずきちんとした水準のフェミニズム理解に基づいて言うのであれば、大野さんの見解が正しいだろう。ホモソーシャルの表れ、恋愛至上主義、家族至上主義、女性の聖女化…批判点はいくらでもある。

上掲の匿名ダイアリー等で議論されている高齢独身男性蔑視の問題もあるだろう。

一方で、女性と相互に信頼する親密な関係を築けた経験によって価値観が変わるというのは普通にあり得そうなことでもあって、かく言う私などもそういう経験をダイレクトに経ている身だ。結婚生活においては「ありがとう」と「ごめんなさい」が大事という話なども含めて、矢部さんのアドバイスはありがちなライフハック程度に捉えるのが良いのかなと思う。

岡村さんへのアドバイスとして有効かどうかは怪しい

では当の岡村さんへの提案としての有効性はどうか。これはかなり怪しい。ラジオを生で聴いてみると、岡村さんはこの矢部さんのアドバイスに対して気持ちの入らない様子で曖昧に部分的に迎合するような応答をしているだけだ。特に感銘を受けている様子も、逆に傷ついている様子も感じ取れない。実際のところはもちろん分からないけれど、放送の印象としては特にやる気を起こさせるようなアドバイスにはなっていないように聴こえた。そもそもの話として矢部さんが岡村さんに対して仕事以外のプライベートの部分が大事なんじゃないかと言ったように、本当に重要な助言は公開のラジオで伝えるものではないだろう。

別に変わらなくても良いのでは

結論として、放送を聴く限りでは矢部さんが岡村さんを変える有効なアドバイスを提供できていたという印象はまったくなかったし、そもそも岡村さんが人格を変える必要もなくないか?と思う。

元の不適切発言については、やはりマイノリティの自由を抑圧するような差別発言を公開するのは良くないという言説の効果に注目すべきで、それをしないのであれば各個人の内面がどうなっているかについては無関係な他人が踏み込んで良い領域ではないと思う。

矢部さんが語る結婚、子育てのような「正常な」ライフコースを辿ることで人として成熟し、生きやすくなるという発想を私は積極的に批判したい立場ではないし、人生にそういう側面は往々にしてあると思うけれど、そういうコースに乗れなかったら乗れなかったでその部分は受け容れてやっていくしかない*1

放送中に「天然」という言葉が繰り返されたことから示唆されるように、人には絶対に変わらない、変えられない性質もあると思う。その性質が他者にとって無益、あるいは逆に有害だったとしても、そういう部分にも自他ともに適当な折り合いを付けてやっていけたりするのもまた、ありがちな人のあり方ではないだろうか。

追記

[B! セルクマ] 人の変わらない部分を変える必要はない ―ナインティナイン岡村隆史謝罪放送を聴いて― - あなたとあなたの話がしたい

ナイナイがコンビとして続くかどうかの瀬戸際だと認識しろ、誘った側の矢部から解散は言わないが、性格変えないかぎり一緒の仕事はきついって宣言。まあナイナイに興味がなければこのタイトルになるだろうけど。

2020/05/03 06:44

今回ラジオで厳しい言葉を次々とぶつけていたのは驚きましたが、これまで溜まりに溜まっていた矢部さんのホンネなのだと思いました

記事を公開した後に、矢部さんの説教は素の不満に近い的な情報を確認した。

wschldrnさん推察の通り私はナインティナインや芸能界については詳しくないので、その点についてはニワカがこの回の放送の情報だけを元に書いた記事という前提で読んでいただきたい。

記事のタイトルを翻すようだけれど、関係者からしたら変わってくれないと困るというのはありそうかなと思った。

追記記事

*1:もちろん一般的なライフコースが望ましいという前提自体万人に成立するものではない。