人の心の花の色は見えるのか ―小野小町「色見えて」歌の清濁説再考―

小野小町「色見えて」歌の清濁説再考  ―「て」と読むか「で」と読むか―」という卒論を提出した。小野小町の「色見えて」歌の清濁説を検討するものだ。論文は実証的なアプローチで書いたけれど、せっかくなので、ブログ的評論形式で研究の意図を紹介してみたい。

色見えてうつろふものは世の中の人の心の花にそありける(『古今集』恋五・七九七・小野小町

この歌について、「色見えて」の「て」を「て」と読むのか、「で」と読むのかという議論がある。

まず前提知識として、『古今集』の短歌のオリジナルは、

いろみえてうつろふものはよのなかのひとのこゝろのはなにそありける

こういう風に、すべて平仮名で書かれていたと考えられている。今残っている写本は、適宜漢字に直されていて、例えば最も信頼性が高いとされる藤原定家自筆の伊達家旧蔵本だと、

色見えてうつろふ物は世中の人の心の花にそ有ける

こういう表記になっている。今重要になってくるのは、こういった仮名文学に濁点が存在しなかったということだ。音声としては当時の日本語にも清濁の区別はあったのだけれど、平仮名の清濁を書き分けることはなかった。こういう表記は現代人にとっては読みづらいので、「色見えて」歌は、現代の本、例えば角川文庫の『古今和歌集』だと、

色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける

(色に現れずにあせてしまうものは、世の中の人の心の花なのであった。)

こういう風に、濁点を振った本文に現代語訳を付けて書かれている。現代語訳を見れば分かるように、「で」というのは打消(「ずして」の転とされる)の助詞で、「色見えで」というのは、色に見えないで、という意味だ。

この現代語訳、いかにもなるほどなという感じで、実際解釈として間違っている訳ではないのだけれど、この歌の本来の魅力はこの現代語訳の内容に留まるものではない。

「て/で」の対応構造

まず、この歌には「人の心」と自然の「花」の対応関係があって、色に見えないでうつろう(気持ちが離れてしまう)「人の心」と読むにしても、

色見えてうつろふものは世の中の(人の心の)花にぞありける
色見えでうつろふものは世の中の人の心(の花)にぞありける

このように、「て」を「花」に対応させると、「色に見えてうつろう花、色に見えないでうつろう人の心」という綺麗な対応構造が見えてくる。

「て」か「で」のどちらかにしか読めない、というのは近代的な発想で、端的に言って短歌のことをまったく分かっていない人間の考え方だ(こういう雑な言い切りが論文でも許されたらいいのに)。この歌の「て」には「て/で」の両義性があると捉えるべきだろう。

上の「花/人の心」の対応構造で良い読みが出来たと満足するのもありなのだけれど、歌の実際の言葉は「人の心の花」、「人の心」と「花」が混然とくっついてることに注目したい。「人の心の花」は色に見えてうつろうものなのか、色に見えないでうつろうものなのか。

恋心のうつろいは色に見えるのか

まず、この歌は『古今集』の恋五に分類されているので、恋の歌だと解釈すると(実はこの歌の内容は恋に限らないのだけれど、ここでは恋の場合を考える)、人の気持ちが離れてゆく様子は「見えるし、見えない」ものなんじゃないか、という感覚がある。恋愛関係にある者同士だったらお互いの気持ちはある程度察せられるものだし、もちろんそれでも全然分からないこともある。そういう恋についての普遍的な二面性が「色見えて/で」に表れている気がする。というのは、もちろん現代的な解釈なのだけれど、実際に調べてみると、『古今集』の平安時代初期の作品にもそういう恋の様子は見てとれることが明らかになってくる……というような感じで、その他様々な角度から、「花/人の心」についての「色見えて/で」の対応だけではなく、「人の心の花」そのものの内部に「色見えて/で」の対応を見出してみた。

Google ドライブ - 1 か所であらゆるファイルを保管

もし読んで下さるという奇特な方がいらっしゃったら、質問、感想、批判等何でも受け付けますので、どうぞよろしくお願いします。

古今集小町歌生成原論』は、大塚英子先生三十五年間の研究成果が詰まった最強の小町本。実証的精神と詩的感性が融合し、これまでの研究が十分に明らかにし得なかった小町作品の重層的な世界観が紐解かれる。これを読めば『古今集』小町歌のことは何でも分かってしまう。

『モテキ』を読んでいつかさんの扱いの酷さにキレてしまった

モテキ (1) (イブニングKC)

モテキ (1) (イブニングKC)

モテキ』を読んだ。面白い漫画だったけれど、どうも読後感にスッキリしないものがある。

いつかさんだ。

モテキ』は、タイトルの通り29歳派遣社員非モテの主人公藤本幸世に突如モテ期が訪れて、土井亜紀、小宮山夏樹、中柴いつかの三人の女性にモテまくるも、非モテをこじらせ過ぎている藤本がグダグダしつつ、失敗の中で徐々に成長していくという話だ。

1巻。いつかさんは「友達」として藤本を誘い山形まで日帰りでラーメンを食べに行く。


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登場シーン。デジイチでバシャバシャ日本海の写真を撮るいつかさん。このコマでいつかさん以外のキャラクターのことはどうでも良くなった。

日帰りのはずが流れで温泉旅館に泊まることに。

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脱衣所に捨てられた種々のスキンケア用品を見て「女は…大変だなぁ……」などと思いつつ、ナチュラルにハイスペックな身体を披露するいつかさん。

旅館の部屋で色々あるも、藤本はことごとく非モテコミットを発動してあっさりとフラれる。

読み始める前は、久保ミツロウの術中にはまって主人公の非モテマインドっぷりにイライラしたりはしないからなって思っていたのだけれど、イライラ通り越して既にキレそう。

モテキ 2 (イブニングKC)

モテキ 2 (イブニングKC)

2巻。いつかさんが表紙であることに期待が高まり、また、全4巻の2巻目に表紙を飾っていることに、「いつかさんはかませ扱いなんじゃ…」という不安がよぎる。

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いつかさんの処女喪失に関わるトラウマ体験が打ち明けられて藤本と急接近する。よし。いいぞ。

そして3巻。

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最高にいい感じになるも、

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突然のこれ。おい。藤本。作者。ちょっと待て。

最終巻。4巻。もう藤本とかどうでもいいから幸せになったいつかさんを見せてくれとページをめくるも、一切登場せず。

あとがき。

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キレた。キレてしまった。

モテキ(4.5) (イブニングKC)

モテキ(4.5) (イブニングKC)

私と同じくキレてしまった読者がたくさんいたのだろう。4.5巻という扱いのいつかさんが主人公の漫画が読めた。

いつかさんの「女」と非モテをこじらせている感じがたっぷりと描かれているのだけれど、正直言って違和感しかない。リアルにいつかさんと同じスペックの女性がいたら爆モテで男なんか選びたい放題だよね。いつかさんに最後まで「非モテ」の属性を押し付けようとしてくる作者の執着は何なのかと、そんなことばかり考えてしまった。

セックス同意書 ―Yes means yes, or no means no?―

11月祭サークラクラッシュ同好会の会誌を買って来て、ひでシスさん(id:hidesys)の『セックス同意書』を読んだ。フェミニズムの「Yes Means Yes(性行為について、拒否の意思が示されたとき拒否だと考え、それ以外は同意とみなす(No Means No)のではなく、同意が示されたとき同意だと考え、それ以外は拒否とみなす、レイプ・セクハラ防止の為の考え方)」に着想を得た並行世界SFの漫画とその解説文で、その世界では、事前に「セックス同意書」に署名してからセックスが行われる。ひでシスさんは、

日本でも最近はたしかにポリティカル・コレクトネスを重んじる傾向は出てきています。しかし社会が『セックス同意書』的社会になるとは考えられません。もし今度性行為をすることがあれば「セックス同意書」を作って相手にサインを求めてください。気持ち悪がられるのではないでしょうか。

と書いていて、これはその通りだと思うのだけれど、アメリカでは既に「セックス同意書」は実在している。

コンドームをキットに入れることで、女性は自分の身を守ることを考えるでしょう。そして契約書を目の前にすれば、誰かとベッドインすることをしばし考え直すかもしれないと思ったのです。

スマホ用のアプリもあるらしい。

カリフォルニア州内在住大学生、法律改訂に伴い、性行為前に使うべき必須アプリ登場 « アメリカより

Yes Means Yesは何故必要か、No Means Noではいけないのか

私自身は、パートナーとの関係性の中でNo Means Noを採用している。

No Means Noを採用する上で重要なのは、「Noとは言えなかったけれど、本当はNoだった」という状況を避けることだ。その為には、パートナーが拒否の意思を示すことを躊躇してしまうような態度を徹底的に排除することが求められる。具体的には、パートナーの体調等の事情でセックスを拒否する意思が示されたときに、ネガティヴな反応を返さないで快く受け容れるというようなことが必要になってくる。

その為には、椎名さんが書いているように、特に男体持ちサイドに繊細な配慮が求められる。No Means Noは「意識の高い男性」を前提とした考え方なのだ。つまり、No Means Noでは、パートナーを思いやる関係性を想定していないセクハラ、レイプを十分に阻止することが出来ない。

そこで、カリフォルニア州では通称Yes Means Yes Lawと呼ばれる法律が2014年に施行された。

カリフォルニア州で大学生同士のセックスは、お互いに同意(Yes)しないと、レイプとして訴えられる可能性がある。 « アメリカより

カリフォルニア州における大学生同士の合法的なセックスは、両当事者が「Yes(セックスしても良い)」と言う発言や態度を明確に示した場合にのみ、あとで「性犯罪者として訴えらる可能性が無い」ことになります。

「Yes」は言葉で伝えたり文書で書く必要は無く、「自分から体を相手に近ずける」「手を相手の身体に廻す」「性器に手で触る」などの性行為容認を示す積極的な態度を示した場合も、「Yes」の意思があった、と解釈されます。

「男女平等」を体現するYes Means Yesの世界

Yes Means Yesと関連してアメリカの恋愛事情が分かり易く解説されている記事に、興味深い記述がある。

http://takeiteasyinamerica.com/?p=18044&cpage=1

よく、こういう質問をいただきます。(いえ、私は国際恋愛の達人でもなんでもないです)

「外国人の男性から、猛烈アタック(死語?)をされています。彼は本気でしょうか?」

日本人女性の多くは、おそらく体験したことはある、または聞いたことのあるシナリオでしょうし、その積極性に戸惑うことも多いはず。

私が、アメリカ社会での男女関係を見てきて思うことは、以下の通りです。

「この人と健康な男女関係を築きたい」と思っている人は、男女関わらず、お互いの意見と意思を尊重し、常に50/50であるという見方をする努力をしています。

そして、上でも述べたように、アメリカでは「セクハラ」の意識がとても強く、それが明らかになると、加害者の男性にとっては死活問題になります。会社で起こった場合は、企業も責任問題を問われることとなり、日本で想像する以上に大きな問題になりうるのです。

そういったリスクを承知している良識ある男性は、うかつに、軽率に、女性に手を出すことはありません。 女性に迷惑をかける言動だけでなく、周りに誤解されるような言動も意識的に避けますし、それが紳士的振る舞いだと私は思います。

「男性から、猛烈アタック(死語?)をされています。彼は本気でしょうか?」というのは、日本ではよく見られる恋愛相談だと思うのだけれど、Yes Means Yesの世界では、一方が積極的で、片方が消極的に値踏みをしているというような関係性は絶対に「本気」ではないのだ。

最初の質問に対する答えは、

「『彼は本気かどうか?』を知ることよりも、『彼とどうなりたいか?』を自分で結論付ける必要がある」

ということですね。

日本では男女の性的価値に極端な偏りがある

ただ、ひでシスさんが書いたように、Yes Means Yesの考え方は日本では受け容れられないだろう。何故なら、日本の旧態的価値観では、性的価値は女体にのみ認められ、男体に性的価値はないからだ。そのような価値観の下では、男性が積極的にアプローチし、女性は自らの性的価値を出し惜しみしつつ男性を選別する、という恋愛観が横行することになる。Yesを明言してしまってはそれ以上カードが切れなくなってしまうのだ。その意味で、Yes Means Yesは古典的な恋の駆け引きを否定する発想でもある。

つまり、男女の対等な関係を目指す上では、男性の性的価値と女性の主体的アプローチを社会的に認めてゆくことが必要になってくる。

ただ、正直なところ、男体よりも女体の性的価値の方が高いというのはそれはそういうものなんじゃないかという印象もないことはない。

私たち日本人としては、アメリカ人のジェンダー対等についての真面目過ぎる取り組みを参考にしつつ、パートナーとの個別的関係性を柔軟に構築してゆければ良いのだと思う。

追記

いくつか突っ込みをいただいてこの記事を読み返してみて、重大な誤解を生みかねない書き方をしていたことに気づいた。「私自身は、パートナーとの関係性の中でNo Means Noを採用している」と書いたけれど、「「Yes」は言葉で伝えたり文書で書く必要は無く、「自分から体を相手に近ずける」「手を相手の身体に廻す」「性器に手で触る」などの性行為容認を示す積極的な態度を示した場合も、「Yes」の意思があった、と解釈されます」という上記リンク先記事のYes Means Yes Lawの解釈に従えば、私はもちろんYes Means Yesを採用している。

Yes Means Yes Law(カリフォルニア州上院法案第967)の原文を見ても、

https://leginfo.legislature.ca.gov/faces/billNavClient.xhtml?bill_id=201320140SB967

“Affirmative consent” means affirmative, conscious, and voluntary agreement to engage in sexual activity. It is the responsibility of each person involved in the sexual activity to ensure that he or she has the affirmative consent of the other or others to engage in the sexual activity. Lack of protest or resistance does not mean consent, nor does silence mean consent. Affirmative consent must be ongoing throughout a sexual activity and can be revoked at any time. The existence of a dating relationship between the persons involved, or the fact of past sexual relations between them, should never by itself be assumed to be an indicator of consent.

「積極的同意」は、性行為に関わる際の、積極的で、意識があり、そして自発的な同意のことである。性行為に関わるために相手や複数の相手についての積極的同意を持っていることを保証することは、性行為に関係する両者の責任である。抗議や抵抗の欠如は同意を意味せず、沈黙もまた同意を意味しない。積極的同意は、性行為を通じて継続していなければならず、いつでも撤回することが可能である。関係する人々に交際関係があることや、彼らの間の過去の性的関係の事実は、それ自体で同意の指標となると想定されることがあってはならない。

「積極的同意」の具体的な示し方については明記されておらず、英語の記事をいくつか読んでみても口頭や書面での同意を必要とするかについて解釈が分かれているようだ。ただ、法案の文章は、性行為の同意に関わるフェミニズム的な啓蒙を主眼としているようにも読める。また、この法案の背景には、カリフォルニアの大学で、泥酔させた上でレイプする(スーパーフリー事件のような)事件が多発していたことがあることも踏まえなければならないだろう。Googleで検索すると色々な記事が見つかる中で、

So are affirmative consent laws a good idea? If they are broad enough to include nonverbal cues, I think so. If we can admit that enthusiastic consent is often communicated in body language or knowing looks, then we must also accept that the lack of consent doesn’t always manifest itself in a shouted “no” or “stop,” either. It shouldn’t be the sole responsibility of the uninterested party to speak up during a sexual encounter. If you think it’s easy for a person to just say no, then why would it be so hard for his or her partner to just ask?

では積極的同意を求める法律は良いアイディアだろうか?非言語的サインにまで解釈の幅を広げるならば、私は良いアイディアだと思う。情熱的な同意はしばしばボディ・ランゲージやそれと分かる表情によって示されることを認めるならば、同意の欠如が常に「ノー」や「やめて」と叫ぶことによって明示されるわけではないことも受け容れなければならない。性的交わりの際に声を出すことは消極的当事者に一方的に担わされる責任となるべきではない。もしあなたがある人にとってただノーと言うことが簡単だと思うなら、彼や彼女のパートナーにとってただ意志を聞くことが難しいと感じる理由があるだろうか?

このAmanda Hessさんの解釈に同意したい。法律の厳密な解釈に囚われるのではなく、こういう風に同意の確認方法についての思想をアップデートしてゆくことが重要なのではと感じた。

ただ、この記事では基本的に「言葉で意志を明示するかそうでないか」の意味でYes Means YesやNo Means Noを使っている。Yes Means Yes概念への理解度が不十分な段階で文章を書いてしまったことは反省しています。

「セックス同意書」Yes Means Yes or No Means No? - あなたとあなたの話がしたい

“男性の性的価値”⇐なんかじわじわと上がってきて認められている流れだと思うし、絶対に受け入れられないということはないと思うんだけどなあ。どうなんだろうか。無理みたいに言われちゃうと悲しい

2015/11/20 20:24

eri_picoさんのブコメ、最近は様々な方面で、男性の性的価値を認めるような動きあって素晴らしいと私も感じています。

理由なくモテるハーレム系主人公にストレスを感じてしまう

溺れる花火 1 (ビッグコミックス)

溺れる花火 1 (ビッグコミックス)

『ヒメゴト』が最高に面白かったので、峰浪りょうさんの前作『溺れる花火』も読んでみた。

『ヒメゴト』と同様に恋愛における幻想と真実の落差が鮮烈にかつ繊細に描かれた作品で、面白く読めたのだけれど、受身な主人公泳太が理由なくモテまくる(4人の女性と性的関係になる)のが気になってどうもフルコミットで作品世界に没入できない。

泳太の彼女小秋は病弱で入退院を繰り返していて、性的接触が十分にできないことに互いの不満が溜まってゆく。

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小秋は満を持して泳太に自らのセックスへの欲望を伝えるも、

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泳太は小秋の従姉妹夏澄とのセックスに夢中。「悪いのは俺だ。そしてあなただ。」いやお前だけだ。

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挙句の果てに自分が恋したのは「病弱な美少女」であって、主体的性欲を持つ生身の小秋ではないと。これは酷い。非モテマインド役満といった感じだ。ただし漫画の主人公なのでモテる。こんな不条理があって良いのか。

まあ、古来男性の理想とされているハーレム系主人公に難癖をつけるのは野暮の極みと言えばそこまでなのだけれど、どうにも引っ掛かるものは仕方がない。

ただ、私にとって望ましい展開もある。

『溺れる花火』に続く峰浪さんの第二作『ヒメゴト』では、主人公由樹の幼馴染祥が非モテマインドの男性キャラで、由樹に勝手な幻想を投影して散々に迷惑をかけるのだけれど、その非モテ行動はちゃんと気持ち悪がられて罵倒される。

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同じ作者が同じ小学館モバMAN」に連載した作品で、非モテマインドの男性キャラが主人公からサブの悪役(最終巻で由樹と和解するけれど)にまで格下げされているというわけだ。祥は最終巻で脱非モテマインドすることによって、初めて由樹とフラットに会話できるようになる。ストーリーのメインを彩る心理描写から、脱すべき悪へと変化した非モテマインド。「脱非モテ」の時代が訪れているのかも知れない。

『ヒメゴト』 ―恋の幻想と自己受容―

『ヒメゴト』を読んだ。かなり濃い性描写を含む恋愛漫画なのだけれど、ストーリーが面白すぎてオナニーする暇もなく最終巻まで読んでしまった。

登場人物

同じ大学に通う19歳の主要キャラ3人は皆、「表の顔」と「裏の顔」を持っている。

櫟原由樹(ユキ/ヨシキ)

  • :Tシャツにジーンズ、ショートカットで男言葉を喋り、サバサバした性格。「ヨシキ」と呼ばれる。
  • :高校時代の女子制服を着て部屋でオナニーしている。

永尾未果子

  • :世間知らずで天然なお嬢様。
  • :名門女子高の黒い制服を着て15歳を騙り売春している。

相葉佳人(カイト)

  • :イケメン。金目当てに歳上の女性と交際している。
  • :未果子が大学に着て来るものと同じ服を買い、女装している。

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登場時の3人は表でも裏でも「仮装」していて、それぞれが強い性嫌悪を抱えている。

幻想の片想い

序盤では、由樹→カイト→未果子→由樹という一方通行の綺麗な三角関係が成立していて、それぞれが片想い相手に一方的な幻想を押しつける。

『ヒメゴト』は恋愛における幻想の描き方が卓越している。それぞれに表と裏の顔がある中で、部分的に秘密を共有したり嘘をついたりする駆け引きがあり、相手について知っていることと知らないことの狭間で様々な誤解や理想化が発生して、絶えず状況が変化するので、続きが気になって目が離せない。

恋は幻想。恋愛のドキドキ感をたっぷりと堪能してしまった。

関係の多様性

『ヒメゴト』では、「カイト×由樹(ユキ)」、「由樹(ヨシキ)×未果子」、「未果子×カイト」という3パターンのすべての関係性について、恋愛/友情の両面が丁寧に描かれるので、ボリューム感が半端ない。しかも3人とも、ゾクゾクするような攻めもかわいい受けも両方こなす完全リバ。これはすごい。

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他者と自己の受容

最初はお互いに幻想を押しつけて、性嫌悪も痛々しい3人だったけれど、徐々に理解を深め、それぞれの関係性の中で他者と自己を受容してゆく。最終巻の怒涛の展開の後、大満足の閉幕が訪れる。しばらくはこの心地良い読後感に浸っていたい。

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はてなユーザーの性格分類統計

前回の記事でMBTIについて書いたけれど、ブコメ欄で診断結果を報告しているはてなユーザーの性格分類が明らかに偏っていて面白いので統計をとってみた。上記リンク先のブクマページに2015年10月16日現在までに付けられているブコメから、診断結果が明示されているもの219(私の診断結果(INFP)を含む)を対象にした。

順位 性格分類 人数
1 INTP 論理学者 38
1 INFP 仲介者 38
3 INTJ 建築家 34
4 ISTP 巨匠 21
5 ISFP 冒険家 17
6 INFJ 提唱者 12
7 ISTJ 管理者 11
8 ENTP 討論者 9
8 ENFP 広報運動家 9
10 ESTP 起業家 8
11 ISFJ 擁護者 7
12 ENTJ 指揮官 5
13 ENFJ 主唱者 3
13 ESFJ 領事官 3
15 ESFP エンターテイナー 2
15 ESTJ 幹部 2

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INTP論理学者、INFP仲介者が並んでトップで、INTJ建築家も多い。逆に、ENFJ主唱者、ESFJ領事官、ESFPエンターテイナー、ESTJ幹部辺りは極端に少ない。

内向型(I)vs外向型(E)

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圧倒的内向型優勢。外向的な人はブコメなんて書いてネットユーザーにアピールしなくても会ってお話しできる友達がたくさんいるからね…。日本人全体だとどうなるのだろう。

直感型(N)vs感覚型(S)

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理想的抽象的思考の直感型が優勢で、現実的具体的思考の感覚型が劣勢。良いブコメを書くには、人の心を動かす理想と、短く言葉をまとめる抽象的言語操作能力が不可欠だ。

思考型(T)vs感情型(F)

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論理的な思考型と共感的な感情型、これは思考型微優位で拮抗している。共感的なブコメと正論で押し切るブコメブコメ欄で熱い火花を散らすのははてなの日常だ。

知覚型(P)vs判断型(J)

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規範を嫌い柔軟性のある知覚型が優勢で、秩序を好み規律や計画性を重視する判断型が劣勢。はてなの反社会的なイメージと合致する。

はてなユーザーの典型はINTP論理学者

優勢となった型を繋ぎ合せるとINTP論理学者となり、最初の統計でも最多を記録したこの分類が、まさにはてなユーザーの典型と言えるだろう。論理学者、独創性溢れるエンジニアみたいなイメージだろうか。すごくはてなっぽい感じがする。

MBTIという神テスト

昨日ひでシスさん(id:hidesys)が面白そうなテストをやっていたので、私もやってみたら、

INFP(思想家)という結果になって、へー、感情重視以外はひでシスさんと似てるんだな、という感じだったのだけれど、この時点では、「内向的(I)」と「感情重視(F)」は分かるけれど、「直感重視(N)」や「知覚重視(P)」とは一体?という感じで十分にこの結果を解釈出来ていなかった。

困惑していたところ、このテスト(MBTIと言うらしい)に詳しいAG♡さんが解説してくれた。確かに、規範に囚われず抽象的に情報処理するというのは私らしいなと思った。

面白いと思ったので、AG♡さんが紹介していたより精度の高い診断も試してみることに。

結果は同じINFP(こっちのサイトでは哲学者ではなくて仲介者となっている)だったのだけれど、このサイトの診断テキストには感動した。

“仲介者”型の性格 (INFP) | 16Personalities

INFP型気質の人は、真の理想主義者で、極悪人や最悪の出来事の中にさえも、常にわずかな善を見い出し、物事をより良くするための方法を模索しています。落ち着きがあり控えめで、内気にさえも見られますが、内には激情と情熱があり、まさに光を放つ可能性を秘めています。

すごい褒めてくれる!嬉しい!というところまでは普通の占いとかと同じだと思うのだけれど、MBTIは弱点の指摘も適格で、

一度に多くのことをやろうとすると力尽き、さらには世の中のあらゆる修復不可能な悪に落胆して、打ちのめされることさえあります。

放っておくと、まるで隠者のように引きこもったまま連絡が途絶え、友人やパートナーが、多大なエネルギーを費やして、現実世界に連れ戻すことになります。

何でそこまで知ってるんだ(実際に長期間引きこもって友人やパートナーが心配して部屋まで来てくれたことがあった)。

いやー、すごい。MBTIすごいよ。良いところを褒めて貰えて、欠点も優しく指摘してくれる。私の場合は過剰な理想主義を修正して現実との折り合いをつけることが必要っぽいとか、そういうことも分かって来る。他者の多様な思考パターンについての理解も深まる(そして占いとか本当は好きだけどあれは非科学的だから…みたいなタイプに都合のいい言い訳も与えてくれる)。